・・・恋愛はもとより、ひとの細君を盗むことや、一夜で百円もの遊びをすることや、牢屋へはいることや、それから株を買って千円もうけたり、一万円損したりすることや、人を殺すことや、すべてどんな経験でもひととおりはして置かねばいい作家になれぬものと信じて・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・やら「児を盗む話」やらを、少しも照れずに自慢し、その長所、美点を講釈している。そのもうろくぶりには、噴き出すほかはない。作家も、こうなっては、もうダメである。「こしらえ物」「こしらえ物」とさかんに言っているようだが、それこそ二十年一日の・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・紳士は盗むように、こっそり受け取った。 あきないはそれだけであった。三日目は、即ちきょうである。つめたい霧のなかに永いこと立ちつづけていたが、誰もふりむいて呉れなかった。 橋のむこう側にいる男の乞食が、松葉杖つきながら、電車みちをこ・・・ 太宰治 「葉」
・・・純粋に盗むことだけの目的で、それは、はいるのだろうが、けれども、そこに何か景品的なたのしみも、こっそりあてにしてはいないか。同じことなら、若夫婦の寝所にしのびこんでみたい、そうして、君、ああ、いやしい! きたない! 恥ずかしくないか。君は、・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・上記のシバテンはまた夜釣りの人の魚籠の中味を盗むこともあるので、とにかく天使とはだいぶ格式が違うが、しかし山野の間に人間の形をした非人間がいて、それが人間に相撲をいどむという考えだけは一致している。 自分たちの少年時代にはもう文明の光に・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・それで電気を盗むのはこの電子の莫大な粒数を盗むのである。そこでその電子は物質かエネルギーか。 電子は質量を有するように見える。それで前の物質の定義によれば物質のように見える。同時にこれには一定量の荷電がある。荷電の存在は一体何によって知・・・ 寺田寅彦 「物質とエネルギー」
・・・そうして盗むように白い眼で三次を見た。犬がひいひい鳴いた時太十はむっくり起きた。彼の神経は過敏になって居た。「おっつあん」と先刻の対手が喚びかけた。太十はまたごろりとなった。「おっつあん縛ったぞ」 三次の声で呶鳴った。「・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・だが何を盗むのだ。誰の物を盗むのだ。盗むにはいろいろ道具もいるし、それに折も見計わなくちゃならない。修行しなくちゃ出来ない商売だ。そればかりじゃないや。第一おれには不気味で出来ねえ。実は小さい時おれに盗みを教え込もうとした奴があったのだ。だ・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・第七物を盗む心あるは去ると言う。物を盗むにも軽重あり。唯この文字に由て離縁の当否を断ず可らず。民法の親族編など参考にして説を定む可し。 右第一より七に至るまで種々の文句はあれども、詰る処婦人の権力を取縮めて運動を不自由にし、男子をして随・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・例えば伽羅くさき人の仮寝や朧月女倶して内裏拝まん朧月薬盗む女やはある朧月河内路や東風吹き送る巫が袖片町にさらさ染るや春の風春水や四条五条の橋の下梅散るや螺鈿こぼるゝ卓の上玉人の座右に開く椿かな梨の花月・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫