・・・ 彼はまだこれからが働き盛りである。彼が重力の理論で手を廻さなかった電磁気論は、ワイルによって彼の一般相対性原理の圏内に併合されたようである。これが成効であるとしても、まだ彼の目前には大きな問題が残されている。それはいわゆる「素量」・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 善ニョムさんは感心して、肥料小屋に整然と長方形に盛りあげられた肥料を見た。馬糞と、藁の腐ったのと、人糞を枯らしたのを、ジックリと揉み合して調配したのが、いい加減の臭気となって、善ニョムさんの鼻孔をくすぐった。 善ニョムさんは、片手・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・門内は一面の梅林で、既に盛りを過した梅の花は今しも紛々として散りかけている最中であった。父はわたくしが立止って顔の上に散りかかる落梅を見上げているのを顧み、いかにも満足したような面持で、古人の句らしいものを口ずさんで聞かされたが、しかしそれ・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・盲目の衰え易い盛りの時期は過ぎ去って居るのである。其でも太十の情は依然として深かった。四 彼がお石を知ってから十九年目、太十が六十の秋である。彼はお石を待ち焦れて居た。其秋のマチにも瞽女は隊を組んで幾らも来た。其頃になってか・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 吉里は二十二三にもなろうか、今が稼ぎ盛りの年輩である。美人質ではないが男好きのする丸顔で、しかもどこかに剣が見える。睨まれると凄いような、にッこりされると戦いつきたいような、清しい可愛らしい重縁眼が少し催涙で、一の字眉を癪だというあん・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・要するにどの女でも若い盛りが過ぎて一度平静になった後に、もうほどなく老が襲って来そうだと思って、今のうちにもう一度若い感じを味ってみたいと企てる、ちょいとした浮気の発動が、この女の上にもめぐって来ているのだと認めたのである。あの手紙にはこの・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・その人相を見るに、これは夫婦ぐらしで豆屋を始めて居て夫婦とも非常な稼ぎ手ではあるが、上さんの方がかえって愛嬌が少いので、上さんはいつも豆の熬り役で、亭主の方が紙袋に盛り役を勤めて居る。もっともこの亭主は上さんよりも年は二つ三つ若くて、上さん・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・去年の秋小さな盛りにしていた土を崩すだけだったから何でもなかった。教科書がたいてい来たそうだ。ただ測量と園芸が来ないとか云っていた。あしたは日曜だけれども無くならないうちに買いに行こう。僕は国語と修身は農事試験場へ行った工藤さんから譲られて・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・それらの試みも、日本の社会と文化とが半ば封建的で、ただの一度も権力にたいする批判力としての自主性、自身を建設する力としての自立性をもたなかった伝統にわずらわされ、つまりは戦争遂行という野蛮な大皿の上に盛りつけられて、あちら、こちらと侵略の道・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・うららかな日和で、霊屋のそばは桜の盛りである。向陽院の周囲には幕を引き廻わして、歩卒が警護している。当主がみずから臨場して、まず先代の位牌に焼香し、ついで殉死者十九人の位牌に焼香する。それから殉死者遺族が許されて焼香する、同時に御紋附上下、・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫