・・・僕等は一時全く忘れていた自然派文学の作例を思出して之を目前の光景に比較し、西洋の過去と日本の現在との異同を論じて、夜のふけるのを忘れたこともたびたびとなった。 斯くの如く僕等がカッフェーに出入することの漸く頻繁となるや、都下の新聞紙と雑・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ さて当時は理想を目前に置き、自分の理想を実現しようと一種の感激を前に置いてやるから、一種の感激教育となりまして、知の方は主でなく、インスピレーションともいうような情緒の教育でありました。なんでも出来ると思う、精神一到何事不成というよう・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ 道徳における向後の大勢及び局部の波瀾として目前に起るべき小反動は要するにかくのごとき性質のものであって、道徳と文芸との密接なる関係もまた上説のごとしとすれば、これからわが社会の要する文芸というものもまた同じ方向に同じ意味において発展し・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・例えば僕は目前に居る一人の男を愛している。僕の心の中では固くその人物と握手をし、「私の愛する親友!」と云おうとして居る。然るにその瞬間、不意に例の反対衝動が起って来る。そして逆に、「この馬鹿野郎!」と罵る言葉が、不意に口をついて出て来るので・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・故に女は男に比るに愚にて、目前なる然べきことをも知らず、又人の誹るべき事をも弁えず、我夫我子の災と成るべきことをも知らず、科もなき人を怨怒り呪詛ひ、或は人を妬憎て我身独立んと思へど、人に憎れ疏れて皆我身の仇と成ことをしらず、最はかなく浅猿し・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・余輩敢えて人の信心を妨ぐるにはあらざれども、それ程にまで深謀遠慮あらば、今少しくその謀を浅くしその慮を近くして、目前の子供を教育し、先ず現世の地獄を遁れて、然る後に未来の極楽をも狙いたきものと思うなり。 右は一人の教育を論じたるものなり・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・のありさま見をる、我ながらをかしさねんじあへてあるじをもここにかしこに追たてて壁ぬるをのこ屋中塗りめぐる 家の狭さと、あるじの無頓着さとはこの言葉書の中にあらわれて、その人その光景目前に見るがごとし。おのがすみか・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ところでじゃ、あの精女の姿を思い出して見なされ、思い出すどころかとっくに目先にチラツイてある事じゃろうがマア、そのやせ我まんと云う仮面をぬいで赤裸の心を出さにゃならぬワ、昨日今日知りあった仲ではないに……第一の精霊ほんとうにそうじゃ、春・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・花房はそれを見て、父の平生を考えて見ると、自分が遠い向うに或物を望んで、目前の事を好い加減に済ませて行くのに反して、父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。宿場の医者たるに安んじている父の rレジニアション・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・どの流派を追い、どの筆法を利用するにしても、要するに洋画家の目ざすところは、目前に横たわる現実の一片を捕えて、それを如実に描き出すことである。彼らにとって美は目前に在るものの内にひそんでいる。机の上の果物、花瓶、草花。あるいは庭に咲く日向葵・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫