・・・この節、肉どころか、血どころか、贅沢な目玉などはついに賞翫した験がない。鳳凰の髄、麒麟の鰓さえ、世にも稀な珍味と聞く。虹の目玉だ、やあ、八千年生延びろ、と逆落しの廂のはずれ、鵯越を遣ったがよ、生命がけの仕事と思え。鳶なら油揚も攫おうが、人間・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・「お前の目玉に水ッ気が少しもなかったよ」 硯と巻き紙とを呼んで、僕は飲みながら、先輩の某氏に当てて、金の工面を頼む手紙を書いた。その手紙には、一芸者があって、年は二十七――顔立ちは良くないし、三味線もうまくないが、踊りが得意――普通の婦・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ たらの色は、黒々として、大きな目玉が光っていました。娘は、その一ぴきを晩のさかなにしようと庖丁をいれました。魚の肉は、雪よりも白く、冷たかったのです。そして、腹を割ると、真っ赤な、桃のつぼみが出たと思いました。「どこで、桃のつぼみ・・・ 小川未明 「海のまぼろし」
・・・ どうせ文楽の広告ビラだろうくらいに思い、懐手を出すのも面倒くさく、そのまま行き過ぎようとして、ひょいと顔を見ると、平べったい貧相な輪郭へもって来て、頬骨だけがいやに高く張り、ぎょろぎょろ目玉をひからせているところはざらに見受けられる顔・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・あとでひとりで楽しまむものと、机の引き出し、そっと覗いてみたときには、溶けてしまって、南天の赤い目玉が二つのこっていたという正吉の失敗とかいう漫画をうちの子供たち読んでいたが、美しい追憶も、そんなものだよ、パッション失わぬうちに書け、鉄は赤・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・昔西洋の雑誌小説で蛾のお化けの出るのを読んだことがあるが、この目玉の光には実際多少の妖怪味といったようなものを帯びている。つまり、なんとなく非現実的な色と光があるのである。これはたぶん複眼の多数のレンズの作用でちょうど光り苔の場合と同じよう・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・当時ほとんど無風で、少なくも人間に感じるような空気の微動はなかったので、ことによるととんぼはあの大きな目玉を夕日に照りつけられるのがいやで反対のほうに向いているのではないかとも思われた。 試みに近い範囲の電線に止まっている三十五匹のとん・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・蜻とんぼが足元からついと立って向うの小石の上へとまって目玉をぐるぐるとまわしてまた先の小石へ飛ぶ。小溝に泥鰌が沈んで水が濁った。新屋敷の裏手へ廻る。自分と精とは一町ばかり後をついて行く。北の山へ雲の峰が出て新築の学校の屋根がきらきらしている・・・ 寺田寅彦 「鴫つき」
・・・それを買って来て焼け火箸で両方の目玉のまん中に穴を明ける。その時に妙な焦げ臭いにおいがする。それから面の両側の穴に元結いの切れを通して面ひもにするのである。面をかぶるとこの焦げ臭いにおいがいっそうひどい、そうして自分のはき出す呼気で面の内側・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 里帰りの二日間に回復したからだはいつのまにかまたやせこけて肩の骨が高くなり、横顔がとがって目玉が大きくなって来た。あまりかわいそうだから、もう一匹別のを飼って過重な三毛の負担を分かたせようという説があってこれには賛成が多かった。 ・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
出典:青空文庫