・・・左は、田舎道で、まず近いのが十二社、堀ノ内、角筈、目黒などへ行くのである。 見れば青物を市へ積出した荷車が絶えては続き、街道を在所の方へ曳いて帰る。午後三時を過ぎて秋の日は暮れるに間もあるまいに、停車場の道には向わないで、かえって十二社・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂、また君と僕と散歩したことの多い早稲田の鬼子母神あたりの町、新宿、白金…… また武蔵野の味を知るにはその野から富士山、秩父山脈国府台等を眺めた考えのみでなく、またその中央に包まれてい・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ 四月二十九日に、目黒の支那料理屋で大隅君の結婚式が行われた。その料理屋に於いて、この佳き日一日に挙行せられた結婚式は、三百組を越えたという。大隅君には、礼服が無かった。けれども、かれは豪放磊落を装い、かまわんかまわんと言って背広服・・・ 太宰治 「佳日」
・・・振袖火事として知られた明暦の大火は言うまでもなく、明和九年二月二十九日の午ごろ目黒行人坂大円寺から起こった火事はおりからの南西風に乗じて芝桜田から今の丸の内を焼いて神田下谷浅草と焼けつづけ、とうとう千住までも焼け抜けて、なおその火の支流は本・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・ 雑司ヶ谷、目黒、千駄ヶ谷あたりの開けたのは田園調布あたりよりもずっと時を早くしていた。そのころそのあたりに頻と新築せられる洋室付の貸家の庭に、垣よりも高くのびたコスモスが見事に花をさかせているのと、下町の女のあまり着ないメレンス染の着・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 山の手の深い堀井戸の水を浴びようとかいうので、夏は水道の水の生温きを喞つ下町の女たち二、三人づれで目黒の大黒屋へ遊びに行く途中であった。茂った竹藪や木立の蔭なぞに古びた小家の続く場末の町の小径を歩いて行く時、自分はふいと半ば枯れかかっ・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・――昔しあるお大名が二人目黒辺へ鷹狩に行って、所々方々を馳け廻った末、大変空腹になったが、あいにく弁当の用意もなし、家来とも離れ離れになって口腹を充たす糧を受ける事ができず、仕方なしに二人はそこにある汚ない百姓家へ馳け込んで、何でも好いから・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・丁度日曜日で、目黒の不動へ、筍飯をたべにつれられて行ったそのかえり道に弟と私と二人で、それぞれ父の手につかまって来た。夕方、人々がさわいでその崖上に集り、火事をみているのであった。 鴎外が、そういう見晴らしに向って立っていた自分の二階を・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・此の忘られない事のあったは何処の所か私には長い事分らないで居たので、或時は其等の事は皆自分の空想なのでは有るまいかと云う気持にさえ成った事があるが、いつだったか目黒へ行く時田端へ出る近路だと連れて行かれた処は、丁度私の記憶の中の彼の野原であ・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・それから、いまでもやっぱり目黒の秋刀魚かい、と云いはしなかったろうか。これは学習院の学生達のみち足りた境遇では、知識欲も、珍しさの味――落語にある「目黒の秋刀魚」に類するものか、と、三十数年前の講演で彼が語った、そのことである。 この質・・・ 宮本百合子 「日本の青春」
出典:青空文庫