・・・…… 以前、あしかけ四年ばかり、相州逗子に住った時(三太郎と名づけて目白鳥がいた。 桜山に生れたのを、おとりで捕った人に貰ったのであった。が、何処の巣にいて覚えたろう、鵯、駒鳥、あの辺にはよくいる頬白、何でも囀る……ほうほけきょ・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・雨戸の中は、相州西鎌倉乱橋の妙長寺という、法華宗の寺の、本堂に隣った八畳の、横に長い置床の附いた座敷で、向って左手に、葛籠、革鞄などを置いた際に、山科という医学生が、四六の借蚊帳を釣って寝て居るのである。 声を懸けて、戸を敲いて、開けて・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ ――聞くとともに、辻町は、その壮年を三四年、相州逗子に過ごした時、新婚の渠の妻女の、病厄のためにまさに絶えなんとした生命を、医療もそれよ。まさしく観世音の大慈の利験に生きたことを忘れない。南海霊山の岩殿寺、奥の御堂の裏山に、一処咲満ち・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
はしがき この小冊子は、明治二十七年七月相州箱根駅において開設せられしキリスト教徒第六夏期学校において述べし余の講話を、同校委員諸子の承諾を得てここに印刷に附せしものなり。 事、キリスト教と学生とにかんすること多し、しかれど・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・「彼の国の道俗は相州の男女よりも怨をなしき。野中に捨てられて雪に肌をまじえ、草を摘みて命を支えたりき」 かかる欠乏と寂寥の境にいて日蓮はなお『開目鈔』二巻を撰述した。 この著については彼自ら「此の文の心は日蓮によりて日本国の有無・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・かれの、はっきりすぐれたる或る一篇の小説に依り、私はかれと話し合いたく願っていた。相州鎌倉二階堂。住所も、忘れてはいなかった。三度、ながい手紙をさしあげて、その都度、あかるい御返事いただいた。私がその作家を好きであるのと丁度おなじくらいに、・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・ 波が浜へ打ち上げてから次の波が来るまでの時間は時によっていろいろですが、私が相州の海岸で計ったのでは、波の弱い時で四五秒ぐらい、大波の時で十四五秒ぐらいでした。とにかく、波の高い時ほどこの時間が長くなります。 遠浅の浜べで潮の引い・・・ 寺田寅彦 「夏の小半日」
出典:青空文庫