・・・山の腹の中でトンネルが大きな輪を描いていて、汽車は今はいった穴の真上へ出て来るのである。T氏が特に興味をもって根ほり葉ほり聞いていたら、そのループのプランをかいた図面をくれてよこした。 だんだん山が険しくなって、峰ははげた岩ばかりになり・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・しばらく見なかった間に季節が進んでいる事は織女牽牛が宵のうちに真上に来ているのでも知られた。そして新星はかなり天頂に近く白鳥座の一番大きな二等星と光を争うほどに輝きまたたいているのであった。「しばらく怠けたので新星の発見をし損なったね」・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・ちょうどこの部屋の真上に大きな栗の木があって、夏初めの試験前の調べが忙しくなるころになると、黄色い房紐のような花を屋根から庭へ一面に降らせた。落ちた花は朽ち腐れて一種甘いような強い香気が小庭に満ちる。ここらに多い大きな蠅が勢いの・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・ しかるにL軸の真上に座する人はもはや科学者ではない。彼らは詩人である。最善の場合において形而上学者であるが最悪の場合には妄想者であり狂者であるかもしれない。こういう人は西洋でも日本でも時々あって科学者を困らせる。しかしたいていの場合彼・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・ 彼のエイトキン夫人に与えたる書翰にいう「此夏中は開け放ちたる窓より聞ゆる物音に悩まされ候事一方ならず色々修繕も試み候えども寸毫も利目無之夫より篤と熟考の末家の真上に二十尺四方の部屋を建築致す事に取極め申候是は壁を二重に致し光線は天井よ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ やがて三たび馬の嘶く音がして中庭の石の上に堅き蹄が鳴るとき、ギニヴィアは高殿を下りて、騎士の出づべき門の真上なる窓に倚りて、かの人の出るを遅しと待つ。黒き馬の鼻面が下に見ゆるとき、身を半ば投げだして、行く人のために白き絹の尺ばかりなる・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・左右に低き帆柱を控えて、中に高き一本の真上には――「白だッ」とウィリアムは口の中で言いながら前歯で唇を噛む。折柄戦の声は夜鴉の城を撼がして、淋しき海の上に響く。 城壁の高さは四丈、丸櫓の高さはこれを倍して、所々に壁を突き抜いて立つ。天の・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・それが高い帆柱の真上まで来てしばらく挂っているかと思うと、いつの間にか大きな船を追い越して、先へ行ってしまう。そうして、しまいには焼火箸のようにじゅっといってまた波の底に沈んで行く。そのたんびに蒼い波が遠くの向うで、蘇枋の色に沸き返る。する・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ 顔の真上からお金の厭味を浴びなければならない。 それだけでさえも、気のせまいお君には、堪えるのが一仕事である。 始め、妙に悪寒がして、腰が延びないほど疼いたけれ共、お金の思わくを察して、堪えて水仕事まで仕て居たけれ共、しまいに・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・国民学校の真上の家で、家を見に行ったときは、学校の庭にコンクリートをうっているときで、子供らは一人も外でさわがず、本当に静かだった。そういう事情があると思いもそめず、家賃が手頃なのや一人暮しに快適な間どりの工合やらにひかれて契約した。そして・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
出典:青空文庫