・・・夜雨秋寒うして眠就らず残燈明滅独り思うの時には、或は死霊生霊無数の暗鬼を出現して眼中に分明なることもあるべし。 蓋し氏の本心は、今日に至るまでもこの種の脱走士人を見捨てたるに非ず、その挙を美としてその死を憐まざるに非ず。今一証を示さんに・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・と来ちゃ、人間そのものの性格なんざ眼中に無いんさ。丸ッきり無い訳ではないが、性格はまア第二義に落ちて、それ以外に睨んでいたものがある。一言すれば、それは色々の人が人生に対する態度だな……人間そのものではなくて、人間が人生に対する態度……とい・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・自己が唯一の俳人と崇めたる其角の句を評して佳什二十首に上らずという、見るべし蕪村の眼中に古人なきを。その五子と称し四老と称す、もとより比較的の讃辞にして、芭蕉の俳句といえどもその一笑を博するに過ぎざりしならん。蕪村の眼高きことかくのごとく、・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・衣、骭に――到り――か、天下の英雄は眼中にあり――か。人を馬鹿にしてるな。そりゃ、聞えません伝兵エサンと来るじゃないか。三吉一つ歌って見や。アイアイ。そんな事じゃなかったよ。坂、坂は照る照る鈴、鈴鹿は曇る、あいのあいの土山雨がふる、ヨーヨー・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・其故、私は真に徹した生活をして居る者の価値は、日常生活の風習の差異等を眼中に置かない共鳴を持つと信じて居ります。然し、私が此から観て行こうとするのは、一般でございます。中位の一群でございます。私が故国の女性を思うと同じ一般の女性を語ろうとす・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 奉天にパチパチの起ったことについて日本帝国主義に内在する経済的・政治的理由も眼中に入れていない。彼は無智な軍用ペンをふるって、ブルジョア異国趣味から狂気的民族主義へ飛躍しているのだ。 この実例だけでも、ブルジョア文学の領域内で、異・・・ 宮本百合子 「プロレタリア文学における国際的主題について」
・・・垣を越すかも知れないということまで、初めに考えなかったのは、用意が足りないようではあるが、何を為るにもそんな ventualit を眼中に置いては出来ようがない。鶏を飼うという事実に、この女が怒るという事実が附帯して来るのは、格別驚くべきわ・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・これらの仏画を眼中に置いて現在の日本画を見れば、その弱さと薄さ、その現実を逃避する卑怯な態度などにおいて、明らかに絵の具の罪よりも画家の罪が認められるのである。色彩のみならず線の引き方においても、リズムの貧弱な、ノッペリとした現在の線は、絵・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・原敬のごときに対しては奸獰邪智の梟雄として心から憎悪を抱いていた。原敬の眼中にはただ自党の利益のみがあって国家がない。ところで彼の政党は私利をのみ目ざす人間の集団であって、自党の利益とは結局党員各自の私利である。彼らはこの集団の力によって政・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・の上でますます精練と簡潔と円熟とを加えて来た四五の作家を眼中に置いて考えてみよう。彼らは皆人生を底まで見きわめたようにふるまっている。彼らはさまざまな社会現象を詳らかに巧妙に描写する腕を持っている。しかし彼らが社会の裏に住む無恥な女を描き、・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫