・・・危険と目指れた数十名の志士論客は三日の間に帝都を去るべく厳命された。明治の酷吏伝の第一頁を飾るべき時の警視総監三島通庸は遺憾なく鉄腕を発揮して蟻の這う隙間もないまでに厳戒し、帝都の志士論客を小犬を追払うように一掃した。その時最も痛快なる芝居・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・――私は、その人達が改札を出たり、入つたりする人達を見ている不思議にも深い色をもつた眼差しを決して見落すことは出来ない。 これはしかしこれだけではない。冬近くなつて、奥地から続々と「俊寛」が流れ込んでくると、「友喰い」が始まるのだ。小樽・・・ 小林多喜二 「北海道の「俊寛」」
・・・と、丁寧な声と眼差しとで手をさし出す。その蒼白い頬に浮かんでいる軽蔑を、陽子は苦しいほど感じて見ることがあった。…… 紅茶を運んで来た岡本の後姿が見えなくなると男たちは声を揃えて、「ワッハッハ」と笑い出した。さすがに今度は、・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・そのシャンデリアの重く光る切子硝子の房の間へ、婚礼の白いヴェイルを裾長くひいた女の後姿が朦朧と消えこむのを、その天井の下の寝台で凝っと暗鬱な眼差しをこらして見つめている女がある。順をおいてみて行ったら、それが母の再婚に苦しむ娘イレーネの顔で・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・ 千代は、同じ愁わしげな眼差しでその青い布を見た。そして丁寧に腰をかがめて礼を云った。「有難うございます。一寸の間でございますのに此那にまで……」 さほ子は、懸命な声で、「いいえ、いいえ。其どころじゃあないわ」と打ち消し・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・女としての境遇に処するということのうちに、おのずからその境遇に向う自身の態度というものが加わって来て、その積極な自覚は、新しく見開かれた眼差しで、ぐるりの女同士の暮しぶりを見直させるであろう。そこにやはりあちらでもそのような視線をもって周囲・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
・・・ 照子は、彼等を等分に眺め乍ら、我から興に乗った眼差しで語りつづけた。「小幡には遊べないの。土曜日んなるとね私が云うのよ、貴方も疲れてるだろうから、今日は休んで寝てなさいってね。そして、私が社へ出かけて行って、主人に金下さいって云う・・・ 宮本百合子 「斯ういう気持」
・・・ところで、今日そのような大生産のできる資本を持った雑誌は、数えるほどしかなく、それらの雑誌社は売れ口を数でこなすために、もっとも文化水準の低い広汎なおくれた層を目指し、支配階級がその商売を援助するように内容を飽くまでも、支配する側にとって良・・・ 宮本百合子 「今日の文化の諸問題」
・・・「何ものかを目指しながら進んでいる」と自身思い、その内容として「個人にその元来の豊富性を回復させ」「今日、文学、文化、文明を発展させ、開花させることの出来る」文化建設のための闘争への自身の生命を結合させていると信じながら、ジイドは、実際に当・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・その真の姿を確りと見直したい心が文学へ真面目な眼差しを向けようとしている。そこでは、矛盾の諸相も現実のものとしておそれられていない。島木健作氏の「生活の探求」に向けられて行った時代のやや素朴であった一般の人生的な良心も、その点では今日の現実・・・ 宮本百合子 「生産文学の問題」
出典:青空文庫