・・・聴診器を三、四か所胸にあてがってみた後、瞳を見、眼瞼を見、それから形ばかりに人工呼吸を試み注射をした。肛門を見て、死後三十分くらいを経過しているという。この一語は診察の終わりであった。多くの姉妹らはいまさらのごとく声を立てて泣く、母は顔を死・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・て蒼々茫々、東は際限なく水天互いに交わり、北は四国の山々手に取るがごとく、さらに日向地は右に伸びてその南端を微漠煙浪のうちに抹し去る、僕は少年心にもこの美しい景色をながめて、恍惚としていたが、いつしか眼瞼が重くなって来た。傍らを見ると叔父さ・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・張ったばかりの天井にふんの砂子を散らしたり、馬の眼瞼をなめただらして盲目にする厄介ものとも見られていた。近代になって、これが各種の伝染病菌の運搬者、播布者として、その悪名を宣伝されるようになり、その結果がいわゆる「蠅取りデー」の出現を見るに・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・火鉢の鉄瓶の単調なかすかな音を立てているのだけが、何だか心強いような感じを起させる。眼瞼に蔽いかかって来る氷袋を直しながら、障子のガラス越しに小春の空を見る。透明な光は天地に充ちてそよとの風もない。門の垣根の外には近所の子供が二、三人集まっ・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・横になって壁を踏んでいると眼瞼が重くなって灰吹から大蛇が出た。 十六日 涼しいさえさえした朝だ。まだ光の弱い太陽を見詰めたが金の鴉も黒点も見えない。坩堝の底に熔けた白金のような色をしてそして蜻とんぼの眼のようにクルクルと廻るように見える・・・ 寺田寅彦 「窮理日記」
子供が階段から落ちてけがをした。右の眉骨を打ったと見えて眼瞼がまんじゅうのようにふくれ上がった。それだけかと思っていたが吐きけのあるのが気になった。医者が来て見ると、どうも右肩の鎖骨が折れているらしいというので驚いて整形外・・・ 寺田寅彦 「鎖骨」
・・・張ったばかりの天井に糞の砂子を散らしたり、馬の眼瞼を舐めただらして盲目にするやっかいものとも見られていた。近代になってこれが各種の伝染病菌の運搬者播布者としてその悪名を宣伝されるようになり、その結果がいわゆる「はえ取りデー」の出現を見るに至・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ある生まれつき盲目の人が生長後手術を受けて眼瞼を切開し、始めて浮き世の光を見た時に、眼界にある物象はすべて自分の目の表面に糊着したものとしか思えなかったそうである。こういう無経験な純粋な感覚のみにたよれば一間前にある一尺の棒と十間の距離にあ・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
出典:青空文庫