・・・そして片目なので、黒の眼鏡をかけておいでになるということです。」と申しあげました。 お姫さまは、これを聞くと、前の家来の申したこととたいそう違っていますので、びっくりなさいました。すぐに縁談を断ってしまおうかとも思われましたが、もし、そ・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・男の方がずっと小柄で、ずっと若く見え、湯殿のときとちがって黒縁のロイド眼鏡を掛けているため、一層こぢんまりした感じが出ていた。顔の造作も貧弱だったが、唇だけが不自然に大きかった。これは女も同じだった。女の唇はおまけに著しく歪んでいた。それに・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・彼らはいちはやく水中眼鏡と鉤針を用意する。瀬や淵へ潜り込む。あがって来るときは口のなかへ一ぴき、手に一ぴき、針に一ぴき! そんな溪の水で冷え切った身体は岩間の温泉で温める。馬にさえ「馬の温泉」というものがある。田植で泥塗れになった動物がピカ・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・それはそれは寝るから起きるから乳を飲ます時間から何やかと用意周到のほど驚くばかりに候、さらに驚くべきは小生が妻のためにとて求め来たりし育児に関する書籍などを妻はまだろくろく見もせぬうちに、母上は老眼に眼鏡かけながら暇さえあれば片っ端より読ま・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・ 眼鏡を掛けた、眼つきの悪い局長が、奥の部屋から出て来た。局長は疑ぐるように、うわ眼を使って、小使をじろりと見た。「誰れが出した札だって?」 局長は、小使から局員の方へそのうわ眼を移しながら云った。 小使は、局長の光っている・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・先生は鼻眼鏡を隆い鼻のところに宛行って、過ぎ去った自分の生活の香気を嗅ぐようにその古い洋書を繰りひろげて見て、それから高瀬にくれた。 正木大尉は幹事室の方に見えた。先生と高瀬と一緒にその室へ行った時は、大尉は隅のところに大きな机を控えて・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・髪を短く切って、ロイド眼鏡をかけている。心が派手で、誰とでもすぐ友達になり、一生懸命に奉仕して、捨てられる。それが、趣味である。憂愁、寂寥の感を、ひそかに楽しむのである。けれどもいちど、同じ課に勤務している若い官吏に夢中になり、そうして、や・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・それ故に物理学者の考える地震というものは結局物理学の眼鏡を透して見得るだけのものに過ぎない。 同じく科学者と称する人々の中でも各自の専門に応じて地震というものの対象がかくのごとく区々である。これは要するにまだ本当の意味での地震学というも・・・ 寺田寅彦 「地震雑感」
・・・右の肩で、テーブルをおすようにして、ひどい近眼らしく、ふちなしの眼鏡で天井をあおのきながら、つっかかってくる。ところどころ感動して手をたたこうと思っても、その暇がない。――われわれ労働者前衛は――というとき、歯ぎしりするようにドンドンとテェ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・腰も曲ってはいなかったが、手足は痩せ細り、眼鏡をかけた皺の多い肉の落ちた顔ばかりを見ると、もう六十を越していたようにも思われた。夏冬ともシャツにズボンをはいているばかり。何をしていたものの成れの果やら、知ろうとする人も、聞こうとする人も無論・・・ 永井荷風 「草紅葉」
出典:青空文庫