・・・鎧を着ると三十銭あがりだった。種吉の留守にはお辰が天婦羅を揚げた。お辰は存分に材料を節約したから、祭の日通り掛りに見て、種吉は肩身の狭い想いをし、鎧の下を汗が走った。 よくよく貧乏したので、蝶子が小学校を卒えると、あわてて女中奉公に出し・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・また着るとしても、ほんのお経の間だけでしょう」「何しろ簡単なもんだな。葬式という奴もこうなるとかえって愛嬌があっていいさ。また死ぬということも、考えてみるとちょっと滑稽な感じのものじゃないか。先の母の死んだ時は、まだ子供の時分だったせい・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・今年は胴着を作って入れておいたが、胴着は着物と襦袢の間に着るものです。じかに着てはいけません。―― 津枝というのは母の先生の子息で今は大学を出て医者をしていた。が、かつて堯にはその人に兄のような思慕を持っていた時代があった。 堯は近・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・『わたしは先へ帰るよ』と吉次は早々陸へ上がる後ろよりそんならわたしたちも上がる待っていてと呼びかけられ、待つはずの吉次、敵にでも追われて逃げるような心持ちになり、衣服を着るさえあわただしく、お絹お常の首のみ水より現われて白銀の波をかき分・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・食うものも着るものも必要なだけ購買組合からあてがわれる。俺らは、ただ金を取るために、危いことだって、気にむかないことだって、何だってやっている。内地でだってそうだ。満州でだってそうだ。ところが、彼れらは、金を取るためではなく、自分たちの生活・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・――兵たいはみんな一人一人服も着るし、飯も食うしさ……。」 商人は、ペーターが持っている二台の橇を聯隊の用に使おうとしているのであった。金はいくらでも出す、そう彼は持ちかけた。 ペーターは、日本軍に好意を持っていなかった。のみならず・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・ものが遠くからも見え渡る扮装をして、小籃を片手に、節こそ鄙びてはおれど清らかな高い徹る声で、桑の嫩葉を摘みながら歌を唄っていて、今しも一人が、わたしぁ桑摘む主ぁきざまんせ、春蚕上簇れば二人着る。と唱い終ると、また他の・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・血気熾んとわれから信用を剥いで除けたままの皮どうなるものかと沈着きいたるがさて朝夕をともにするとなればおのおのの心易立てから襤褸が現われ俊雄はようやく冬吉のくどいに飽いて抱えの小露が曙染めを出の座敷に着る雛鶯欲のないところを聞きたしと待ちた・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・太郎はすでに中学の制服を着る年ごろであったから、すこし遠くても電車で私の母校のほうへ通わせ、次郎と末子の二人を愛宕下の学校まで毎日歩いて通わせた。そのころの私は二階の部屋に陣取って、階下を子供らと婆やにあてがった。 しばらくするうちに、・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・「女は腰のところを下帯で紮げて着るんですから」と言って、藤さんはそばから羽織の襟を直してくれる。「なぜそうするんでしょう」「みんなそうするんですわ。おや、羽織に紐がございませんわね」「いいえけっこう」というと、初やが、「・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫