・・・それでは皆して参ってくるがよかろう……いや着物など着替えんでよいじゃないか」 女達は、もう鼻啜りをしながら、それじゃアとて立ちあがる。水を持ち、線香を持ち、庭の花を沢山に採る。小田巻草千日草天竺牡丹と各々手にとり別けて出かける。柿の木の・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・おとよは気が引けるわけもないけれども、今日はまた何といわれるのかと思うと胸がどきまぎして朝飯につく気にもならない、手水をつかい着物を着替えて、そのままお千代が蚕籠を洗ってる所へ行こうとすると、「おとよ」と呼ぶのは母であった。おとよは・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・安子が学校から帰って、長い袂の年頃の娘のような着物に着替え、襟首まで白粉をつけて踊りの稽古に通う時には、もう隣りの氷店には五六人の若い男がとぐろを巻いて、ジロリと視線が腰へ来た。踊りの帰りは視線のほかに冷やかしの言葉が飛んだ。そんな時安子は・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・風呂から出て奥の間へ行くと一同の着替えがそろえてある。着なれぬ絹の袴のキュー/\となるのを着て座敷へ出た。日影が縁へ半分ほど差しこんで顔がほて/\するのは風呂に入ったせいであろう。姉上が数々の子供をつれて来る。一同座敷の片側へ一列にならんで・・・ 寺田寅彦 「祭」
・・・ 石田は襦袢袴下を着替えて又夏衣袴を着た。常の日は、寝巻に湯帷子を着るまで、このままでいる。それを客が来て見て、「野木さんの流義か」と云うと、「野木閣下の事は知らない」と云うのである。 机の前に据わる。膳が出る。どんなにゆっくり食っ・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・玄関へ出て来た漱石は、私の突飛さにちょっとあきれたような顔をしたが、気軽に同意して着替えのために引っ込んで行った。 今の桜木町駅のところにあった横浜駅に着いたのは、もう十二時過ぎであった。そのころ私はナンキン町のシナ料理をわりによく知っ・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫