・・・その一つ向うのテエブルには、さっき二人と入れちがいにはいって来た、着流しの肥った男と、芸者らしい女とが、これは海老のフライか何かを突ついてでもいるらしい。滑かな上方弁の会話が、纏綿として進行する間に、かちゃかちゃ云うフォオクの音が、しきりな・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・そうは資本が続かないからと、政治家は、セルの着流しです。そのかわり、この方は山高帽子で――おやおや忘れた――鉄無地の旦那に被せる帽子を。……そこで、小僧のを脱がせて、鳥打帽です。 ――覚えていますが、その時、ちゃら金が、ご新姐に、手づく・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ と弱々と斜にひねった、着流しの帯のお太鼓の結目より低い処に、ちょうど、背後の壁を仕切って、細い潜り窓の障子がある。 カタリ、と引くと、直ぐに囲いの庭で、敷松葉を払ったあとらしい、蕗の葉が芽んだように、飛石が五六枚。 柳の枝折戸・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・ お米は着流しのお太鼓で、まことに優に立っている。「おお、成仏をさっしゃるずら、しおらしい、嫁菜の花のお羽織きて、霧は紫の雲のようだ、しなしなとしてや。」 と、苔の生えたような手で撫でた。「ああ、擽ったい。」「何でがすい・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・すると生憎運動に出られたというので、仕方がなしに門を出ようとすると、入れ違いに門を入ろうとして帰り掛ける私を見て、垣に寄添って躊躇している着流しの二人連れがあった。一人はデップリした下脹れの紳士で、一人はゲッソリ頬のこけた学生風であった。容・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・一時間ほど前、土地の旅館の息子がぞろりとお召の着流しで来て、白い絹の襟巻をしたまま踊って行ったきり、誰も来なかった。覗きもしなかった。女中部屋でもよいからと、頭を下げた客もあるほどおびただしく正月の入湯客が流れ込んで来たと耳にはいっているの・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・髪を長く伸ばして、脊広、或いは着流し、およそ学生らしくない人たちばかりであったが、それでも皆、早稲田の文科生であったらしい。 どこまでも、ついて来る。じっさい、どこまでも、ついて来る。 そこで井伏さんも往生して、何とかという、名前は・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・、ですか、真相、ですか、そんなものはわからず、ここ二、三年頑張れば、どうにかこうにか対等の資格で、和睦が出来るくらいに考えていまして、大谷さんがはじめて私どもの店にあらわれた時にも、たしか、久留米絣の着流しに二重廻しを引っかけていた筈で、け・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ そうして間もなく戦いが終り、私は和服の着流しで故郷の野原を、五歳の女児を連れて歩きまわったりなど出来るようになった。 まことに、妙な気持のものであった。私はもう十五年間も故郷から離れていたのだが、故郷はべつだん変っていない。そうし・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・華美な和服の着流し。もう、すっかり春だ。津軽の春は、ドカンと一時にやって来るね。ほんとうに。ホップ、ステップ、エンド、ジャンプなんて飛び方でなくて、ほんのワンステップで、からりと春になってしまうのねえ。あんなに深く積っていた・・・ 太宰治 「春の枯葉」
出典:青空文庫