・・・私は絹のものを、ぞろりと着流してフェルト草履をはき、ステッキを振り廻して歩く事が出来ないたちなので、その絹のものも、いきおい敬遠の形で、この一、二年、友人の見合いに立ち合った時と、甲府の家内の里へ正月に遊びに行った時と、二度しか着ていない。・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・そのころ東京では、まだ空襲は無かったが、しかし既に防空服装というものが流行していて、僕のように和服の着流しにトンビをひっかけている者は、ほとんど無かった。和服の着流しでコンクリートのたたきに蹲っていると、裾のほうから冷気が這いあがって来て、・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・ と私は田舎の或るひとに書いて送り、そうして、私もやっぱり何の変るところも無く、久留米絣の着流しに二重まわしをひっかけて、ぼんやり東京の街々を歩き廻っていた。 十二月のはじめ、私は東京郊外の或る映画館、その映画館にはいって、アメリカ・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
・・・服装なども無頓着であったらしく、よれよれの和服の着流しで町を歩いている恰好などちょっと高等学校の先生らしく見えなかったという記憶がある。それはとにかく、その当時夏目先生と何かと世間話していたとき、このS先生の噂をしたら先生は「アー、Sかー」・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・ これは余談であるが、一、二年前のある日の午後煙草を吹かしながら銀座を歩いていたら、無帽の着流し但し人品賤しからぬ五十恰好の男が向うから来てにこにこしながら何か話しかけた。よく聞いてみると煙草を一本くれないかというのである。丁度持合せて・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・その時の犠牲は三十恰好の商人風の男で、なんでも茶がかった袷の着流しに兵児帯をしめていたように思う。それが下駄を片手にぶらさげて跣足で田の畦を逃げ廻るのを、村のアマゾン達が巧妙な戦陣を張ってあらゆる遁げ路を遮断しながらだんだんに十六むさしの罫・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・それには寒空に無帽の着流し、足駄ばき、あごの不精ひげに背の子等は必要で有効な道具立てでなければならない。 そう考えて来ると、第一この男が丸の内仲通りを歩いていて、しかもそこで亀井戸への道を聞くということが少し解しにくいことに思われて来る・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・中折帽に着流しでゴム靴をはいて、そしてひどく考え込んだような風でゆっくり歩いて来る姿をはっきり覚えているように思うのであるが、しかし、これはよくある覚えちがいであるかもしれない。それから前垂のようなものを着けていたような気もするがこれはいっ・・・ 寺田寅彦 「高浜さんと私」
・・・出て見るとまだ若い学生のような人であるが、無帽の着流しで、どこかの書生さんといった風体である。玄関で立ったまま来意を聞くとさげていた小さなふろしき包みを解いて中からだいぶよごれた帳面を出した。それになんでもいいから俳句を書いてもらいたいとい・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・ 争議が解決した後も、いっその事思い切って従業員の制服を全廃して思い思いの背広服ないし和服着流しにする事を電気局に建言したらどうかと思ってみたのであった。 十 このごろ、熱帯魚を売る店先を通るときはたいていい・・・ 寺田寅彦 「破片」
出典:青空文庫