・・・もっともわたしが搦め取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口の石橋の上に、うんうん呻って居りました。時刻でございますか? 時刻は昨夜の初更頃でございます。いつぞやわたしが捉え損じた時にも、やはりこの紺の水干に、打出しの太刀を佩い・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・巌と石の、いずれにも累れる牡丹の花のごときを、左右に築き上げた、銘を石橋と言う、反橋の石の真中に立って、吻と一息した紫玉は、この時、すらりと、脊も心も高かった。 七 明眸の左右に樹立が分れて、一条の大道、炎天の下・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・その頃村山龍平の『国会新聞』てのがあって、幸田露伴と石橋忍月とが文芸部を担任していたが、仔細あって忍月が退社するので、その後任として私を物色して、村山の内意を受けて私の人物見届け役に来たのだそうだ。その時分緑雨は『国会新聞』の客員という資格・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 尾崎、山田、石橋の三氏が中心となって組織した硯友社も無論「文学士春の屋おぼろ」の名声に動かされて勃興したので、坪内君がなかったならただの新聞の投書ぐらいで満足しておったろう。紅葉の如きは二人とない大才子であるが、坪内君その前に出でて名・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・ 戸数五百に足らぬ一筋町の東の外れに石橋あり、それを渡れば商家でもなく百姓家でもない藁葺き屋根の左右両側に建ち並ぶこと一丁ばかり、そこに八幡宮ありて、その鳥居の前からが片側町、三角餅の茶店はこの外れにあるなり。前は青田、青田が尽きて塩浜・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・といって身の振り方をつけるためばかりに男子を見、石橋をたたいてみてから初めて恋をするというような態度でも困る。これは可愛らし気がなく、純な娘らしい雰囲気がなくなるからだ。恋愛は一方では、意識選択ではなく、運命であるという趣きがあるということ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・暫時二人は門外の石橋のところに佇立みながら、混雑した往来の光景を眺めた。旧い都が倒れかかって、未だそこここに徳川時代からの遺物も散在しているところは――丁度、熾んに燃えている火と、煙と、人とに満された火事場の雑踏を思い起させる。新東京――こ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・私の性格の中には、石橋をたたいて渡るケチな用心深さも、たぶんに在るようだ。「あのあとで、お二人とも文治さんに何か言われはしなかったですか? 北さん、どうですか?」「それあ、兄さんの立場として、」北さんは思案深げに、「御親戚のかた達の手前・・・ 太宰治 「故郷」
・・・大きい道ではあるが、一つとして滑らかな平らかなところがない。これが雨が一日降ると、壁土のように柔らかくなって、靴どころか、長い脛もその半ばを没してしまうのだ。大石橋の戦争の前の晩、暗い闇の泥濘を三里もこねまわした。背の上から頭の髪まではねが・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・後の方でダーダーと云う者があるからふりかえると、五、六間後の畔道の分れた処の石橋の上に馬が立っている。その後についているのは十五、六の色の黒い白手拭を冠った女の子であった。馬はどっちへ行こうかと云う風で立止っていると、女の子は馬の腹をくぐっ・・・ 寺田寅彦 「鴫つき」
出典:青空文庫