・・・五人目の客は年の若い仏蘭西文学の研究者だった。自分はこの客と入れ違いに、茶の間の容子を窺いに行った。するともう支度の出来た伯母は着肥った子供を抱きながら、縁側をあちこち歩いていた。自分は色の悪い多加志の額へ、そっと唇を押しつけて見た。額はか・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・父は、私が農学を研究していたものだから、私の発展させていくべき仕事の緒口をここに定めておくつもりであり、また私たち兄弟の中に、不幸に遭遇して身動きのできなくなったものができたら、この農場にころがり込むことによって、とにかく餓死だけは免れるこ・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・を峻拒して、そこに残るただ一つの真実――「必要」! これじつに我々が未来に向って求むべきいっさいである。我々は今最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究して、そこに我々自身にとっての「明日」の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・――ところで、とぼけきった興は尽きず、神巫の鈴から思いついて、古びた玩弄品屋の店で、ありあわせたこの雀を買ったのがはじまりで、笛吹はかつて、麻布辺の大資産家で、郷土民俗の趣味と、研究と、地鎮祭をかねて、飛騨、三河、信濃の国々の谷谷谷深く相交・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・乏にあらず学問の欠乏にあらず、人にも家にも品位というものが乏しく、金の力を以て何人にも買い得らるる最も浅薄に最も下品なる娯楽に満足しつつあるにあるのであろう、今は種々な問題に対して、口の先筆の先の研究は盛に行われつつあるが、実行如何と顧・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・狂歌師としては無論第三流以下であって、笑名の名は狂歌の専門研究家にさえ余り知られていないが、その名は『狂歌鐫』に残ってるそうだ。 喜兵衛は狂歌の才をも商売に利用するに抜目がなかった。毎年の浅草の年の市には暮の餅搗に使用する団扇を軽焼の景・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・地質学を研究する人、動物学を研究する人はいくらもある。地質学者、動物学者はたくさんいる。しかしながら地質学、動物学を教えることのできる人は実に少い。文学者はたくさんいる、文学を教えることのできる人は少い。それゆえにこの学校に三、四十人の教授・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・またあるものは、その島についてからのことなどを研究して頭を悩ましました。しかしその悩みは、行く末の幸福を得ることのために愉快でありました。早く、その未知の島にゆきたいものだとみんなは心で思いました。どんな困難や辛苦がこの後あってもそれを切り・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・これは私自身まだ京都弁というものを深く研究していないから、多くの作家の作品の中に書かれた京都弁の違いを、見分けることが出来ないのだろうとも、一応考えられるけれども、一つには、京都弁そのものが変化に乏しく、奥行きが浅く、ただ紋切型をくりかえし・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・彼は私の本体までもすっかり研究してしまっている。そしてもはや私は彼にとっては、不用な人間だ。彼は二三度、私を洲崎に遊びに伴れて行ってくれた。そしてあるおでん屋の女に私を紹介した。それは妖婦タイプの女として、平生から彼の推賞している女だ。彼は・・・ 葛西善蔵 「遁走」
出典:青空文庫