・・・そして最後は上帝への礼拝で終っている。 ほんの七行、今の小学生のよむ英語読本の「蝶々はとびます」風の文句に、仰々しく一々何々論何々論、と四角い字を並べ、肩を張って読んだ人々の心持を考えると、漫に洋学が公然日本に入りかけた時代の、白熱した・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・壁画のある、天井の高い大食堂の窓からは、灰色のうろこ形スレートぶきの小屋根、その頂上の風見の鳩、もと礼拝所であったらしい小さい四角い塔などが狭くかたまって見えた。塔の内に大小三つの鐘があるのも見える。 ガラス張の屋内温室の、棕梠や仙人掌・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・ 自分が尊いと思うものの前には、私はいつでも膝を折り、礼拝する謙譲さをもっています。より偉大なもの、よりよいもの、美くしいものに、私は殆ど貪婪なような渇仰をもっています。 けれども、不正だと思うものの前には、私はどんなことがあっても・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・私は、心をこめ、求道者が師を礼拝するような心持で頭を下げた。そして、次第に熱中し、興にのって、講義して行かれる心理学概論を筆記する。 先生の教授ぶりは、熱があり、インテレクチュアルで、真摯なものであった。 黒板に何か書いたチョークを・・・ 宮本百合子 「弟子の心」
・・・日本人の尼僧がつれ立って、礼拝堂から出て来た。大浦の天主堂を見た眼では、明るく出来立てで大きく、どこかに東本願寺というような感がしなくもない。 内部も規模大で、祭壇の左右に合唱壇もついて居、堂々としたものだ。ここで、信徒は皆床に坐ると見・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・浅く、ただ礼拝する寺で、精神の活躍する場所として必要な底強いゆとりが建築上欠けているという印象である。木材が一面朱塗だということもその感じには関係があるらしい。 住職がばたばた扉を閉めて行った本堂前の、落葉のある甃を歩き廻りながら、私共・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・特に、当時は「どの工場にもある聖者の像の前で礼拝のある日はひどかった。こんな日は礼拝がすむとみんなは気を失うまで酔っぱらう」のであった。 一八七〇年代の高揚は去り、工場の中で「同志」とか「同僚」とか云う言葉はこの時代には個人的な意味しか・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・「合掌礼拝。森君よ。ずっと向うに見えて居るのは何でしょう。あれは死ですね。最も賢き人は死を確と認めて居ますね。十二月七日。祈祷。」 次にわたくしは芥川氏に聞いた二三の雑事をしるして置く。香以の氏細木は、正しくは「さいき」と訓むのだそうで・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・予は散歩の途上、諸君の礼拝する所を見て歩いた時に、「知らざる神に」と刻りつけた一つの祭壇を見いだして非常に驚いたことがあった。諸君の中には確かにある未知の神への憧憬が動いているのである。予の神はこの、諸君が知らずして礼拝するところの神である・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・ただ、優れた芸術的作品を宗教的礼拝の対象とする狭い範囲にのみ限られている。 特に私は今、千数百年以前の我々の祖先の心境を心中に描きつつ、この問題を考察するのである。 まず私は、人間の心のあらゆる領域、すなわち科学、芸術、宗教、道・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫