・・・御主人にも信用がありますけれど、お祖母さんという人に、大変に気に入られているんです。嫁さんも御主人の親類筋の人で、四国でいい船持ちだということです。庄ちゃんなんか行って、私をむずかしい女のように言っていたんですけれど、逢ってみればそんなじゃ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・汚れた襟付の袷に半纏を重ねた遣手婆のようなのが一人――いずれにしても赤坂麹町あたりの電車には、あまり見掛けない人物である。 車は吾妻橋をわたって、広い新道路を、向嶋行の電車と前後して北へ曲り、源森橋をわたる。両側とも商店が並んでいるが、・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・「まずうちへ帰ると婆さんが横綴じの帳面を持って僕の前へ出てくる。今日は御味噌を三銭、大根を二本、鶉豆を一銭五厘買いましたと精密なる報告をするんだね。厄介きわまるのさ」「厄介きわまるなら廃せばいいじゃないか」と津田君は下宿人だけあって・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ 金持の淫乱な婆さんが、特に勝れて強壮な若い男を必要とするように、第三金時丸も、特に勝れて強い、労働者を必要とした。 そして、そのどちらも、それを獲ることが能きた。 だが、第三金時丸なり、又は淫乱婆としては、それは必要欠くべから・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・今度は二人乗のよぼよぼ車に窮屈そうに二人の婆さんが乗って居る。勿論田舎の婆さんでその中の一人が誠に小い一尺ばかりの熊手を持って居る。もし前の熊手が一号という大きさならこの熊手は廿九号位であるであろう。その小さな奴を膝の上にも置かないでやはり・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・そしてよく相談するからと云った。祖母や母に気兼ねをしているのかもしれない。五月八日 行く人が大ぶあるようだ。けれどもうちでは誰も何とも云わない。だから僕はずいぶんつらい。五月九日、三時間目に菊池先生がまた・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ 霞は人の心を引きくるめて沙婆のまんなかへつれて来る。霧は禁慾的な、隠遁的な気分に満ちて居る。 私は今の処は霧の方を好いて居る。 冷静な頭に折々はなりたいと思うからだ。 霧の立ちこめた中に只一人立って、足元にのびて居る自分の・・・ 宮本百合子 「秋霧」
・・・おばあ様とは、桂屋にいる五人の子供がいつもいい物をおみやげに持って来てくれる祖母に名づけた名で、それを主人も呼び、女房も呼ぶようになったのである。 おばあ様を慕って、おばあ様にあまえ、おばあ様にねだる孫が、桂屋に五人いる。その四人は、お・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・なんだか六十ぐらいになった爺いさん婆あさんのようじゃありませんか。一体百年も逢わないようだと初めに云っておいて、また古い話をするなんとおっしゃるのが妙ですね。貴夫人。なぜ。男。なぜって妙ですよ。女の方が何かをひどく古い事のように言う・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・「こんなしぶったれ婆と、誰が喧嘩するか。」と秋三は笑って見せた。「お前、黙っていやいて云うのにな!」「こいつ、どうしたらええ奴やろ!」とお霜は秋三を睥んで云った。「姉やん見やいせ。良え光沢やろが。汚点が惜しいことにちょっと附・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫