・・・ここはまるで神仏のデパートである。信仰の流行地帯である。迷信の温床である。たとえば観世音がある。歓喜天がある。弁財天がある。稲荷大明神がある。弘法大師もあれば、不動明王もある。なんでも来いである。ここへ来れば、たいていの信心事はこと足りる。・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・斯のように神仏を崇敬するのは維新前の世間の習慣で、ひとり私の家のみのことではなかったのだが、私の家は御祖母様の保守主義のために御祖父様時代の通りに厳然と遣って行った、其衝に私が当らせられたのでした。畢竟祖父祖母が下女下男を多く使って居た時の・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・をきるなど、道家の咒を用いたり、符ふろくの類を用いたりしている。神仏混淆は日本で起り、道仏混淆は支那で起り、仏法婆羅門混淆は印度で起っている。何も不思議はない。ただここでは我邦でいう所の妖術幻術は別に支那印度などから伝えた一系統があるのでは・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・十八、神仏を尊み神仏を頼まず。十九、心常に兵法の道を離れず。 男子の模範とはまさにかくの如き心境の人を言うのであろう。それに較べて私はどうだろう。お話にも何もならぬ。われながら呆れて、再び日頃の汚濁の心境に落ち込まぬよう、自戒の・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・一 巫覡などの事に迷て神仏を汚し近付猥に祈べからず。只人間の勤を能する時は祷らず迚も神仏は守り給ふべし。 巫覡などの事に迷いて神仏を汚し猥に祈る可らずとは我輩も同感なり。凡そ是等の迷は不学無術より起ることなれば、今日・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 神仏の力によって、生死の境を超越した人でないかぎりは必ずそうあるべき事なのである。何処に居て誰の手に寄ろうと死は一つ死で有ろうけれ共、私は、我が幼児が親同胞にとりかこまれて、何物にもたとえ様のない愛の手ざわりと、啜り泣きの裡に逝ったと・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・「ご病気はいかにもご重体のようにはお見受け申しまするが、神仏の加護良薬の功験で、一日も早うご全快遊ばすようにと、祈願いたしておりまする。それでも万一と申すことがござりまする。もしものことがござりましたら、どうぞ長十郎奴にお供を仰せつけら・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・もうどこをさして往って見ようと云う所もないので、只已むに勝る位の考で、神仏の加護を念じながら、日ごとに市中を徘徊していた。 そのうち大阪に咳逆が流行して、木賃宿も咳をする人だらけになった。三月の初に宇平と文吉とが感染して、熱を出して寝た・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・お前はこれから思いきって、この土地を逃げ延びて、どうぞ都へ登っておくれ。神仏のお導きで、よい人にさえ出逢ったら、筑紫へお下りになったお父うさまのお身の上も知れよう。佐渡へお母あさまのお迎えに往くことも出来よう。籠や鎌は棄てておいて、かれいけ・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫