・・・人としてただ技芸のみを知り、道の何ものたるを弁えずんば、ほとんど禽獣に近し。道徳の教、はなはだ大切なりといえども、余輩の考は少しくこれに異なり。その異なる所は道徳を不用なりというには非ず。小学校に『論語』『大学』の適当せざるをいうなり。今の・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・これを通俗にいえば、夫婦の間、相互いに隔てなくして可愛がるとまでにては未だ禽獣と区別するに足らず。一歩を進め、夫婦互いに丁寧にし大事にするというて、始めて人の人たる所を見るに足るべし。即ち敬の意なり。 然らば即ち敬愛は夫婦の徳にして、こ・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・もとより智徳の両者は人間欠くべからざるものにて、智恵あり道徳の心あらざる者は禽獣にひとしく、これを人非人という。また徳義のみを脩めて智恵の働あらざる者は石の地蔵にひとしく、これまた人にして人にあらざる者なり。 両者のともに欠くべからざる・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・佐藤春夫氏は『文芸春秋』の社会時評に「諸共に禽獣よりも悲し」といい、ジャーナリズムが社会的効果に対して無責任であることを指摘しているが、もし現在のジャーナリズムにそのような弱いところがなかったならば同氏によって『文芸』に推薦されたと仄聞する・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
出典:青空文庫