・・・今も、黄いろい秩父の対の着物に茶博多の帯で、末座にすわって聞いているのを見ると、どうしても、一生を放蕩と遊芸とに費した人とは思われない。中洲の大将や小川の旦那が、「房さん、板新道の――何とか云った…そうそう八重次お菊。久しぶりであの話でも伺・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・崖の上になってるので、利根川は勿論中川までもかすかに見え、武蔵一えんが見渡される。秩父から足柄箱根の山山、富士の高峯も見える。東京の上野の森だと云うのもそれらしく見える。水のように澄みきった秋の空、日は一間半ばかりの辺に傾いて、僕等二人が立・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ お光は店を揚って、脱いだ両刳りの駒下駄と傘とを、次の茶の間を通り抜けた縁側の隅の下駄箱へ蔵うと、着ていた秩父銘撰の半纏を袖畳みにして、今一間茶の間と並んだ座敷の箪笥の上へ置いて、同じ秩父銘撰の着物の半襟のかかったのに、引ッかけに結んだ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・すなわち木はおもに楢の類いで冬はことごとく落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞に雨に月に風に霧に時雨に雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈するその妙はちょっと西国地方ま・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ 絹物とてはモリムラと秩父が二三枚あるきりだった。それもひなびた古い柄だった。その外には、つぎのあたった木綿縞や紅木綿の襦袢や、パッチが入っていた。そういうものを着られるだろうと持って来たのだが、嫁に見られると笑われそうな気がして、行李・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・から、いつぞはこの川の出ずるところをも究め、武蔵禰乃乎美禰と古の人の詠みけんあたりの山々をも見んなど思いしことの数次なりしが、ある時は須田の堤の上、ある時は綾瀬の橋の央より雲はるかに遠く眺めやりし彼の秩父嶺の翠色深きが中に、明日明後日はこの・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ お三輪は子守娘をつれて町へでも買物に行く度に、秩父の山々を望んで来た。山を見ると、彼女は東京の方の空を恋しく思った。 新七から来た手紙には浦和まで母を迎えに行くとあって、ともかくもお三輪は伜の来るのを待つことにしていた。彼・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・絶間なき秩父おろしに草も木も一方に傾き倒れている戸田橋の両岸の如きは、放水路の風景の中その最荒凉たるものであろう。 戸田橋から水流に従って北方の堤を行くと、一、二里にして新荒川橋に達する。堤の下の河原に朱塗の寺院が欝然たる松林の間に、青・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ 横を向いてふと目に入ったのは、襖の陰に婆さんが叮嚀に畳んで置いた秩父銘仙の不断着である。この前四谷に行って露子の枕元で例の通り他愛もない話をしておった時、病人が袖口の綻びから綿が出懸っているのを気にして、よせと云うのを無理に蒲団の上へ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・落人というのだな。秩父在に昔から己の内に縁故のある大百姓がいるから、そこへ逃げて行こうというのだ。爺いの背中で、上野の焼けるのを見返り見返りして、田圃道を逃げたのだ。秩父在では己達を歓迎したものだ。己の事を江戸の坊様と云っていた。」「な・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
出典:青空文庫