・・・だし慶応義塾の社員は中津の旧藩士族に出る者多しといえども、従来少しもその藩政に嘴を入れず、旧藩地に何等の事変あるも恬として呉越の観をなしたる者なれば、往々誤て薄情の譏は受るも、藩の事務を妨げその何れの種族に党するなどと評せられたることなし。・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 世禄の武家にしてかくの如くなれば、その風はおのずから他種族にも波及し、士農工商、ともに家を重んじて、権力はもっぱら長男に帰し、長少の序も紊れざるが如くに見えしものが、近年にいたりてはいわゆる腕前の世となり、才力さえあれば立身出世勝手次・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・然らばすなわち、今の日本政府を日本国民一種族の集合体として、この集合体ははたして徳義の叢淵にして、ことに百徳の根本たる家の私徳を重んじ、身の内行を厳にして、つねに衆庶の景慕するところなるやというに、諭吉、またこれを信ずるを得ず。 あるい・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・斯く広き社会の中に居て、一人と一人との間、また一種族と一種族との間に様々の関係あることなれば、その関係について、それぞれ守る所の徳義なかるべからず。即ち朋友に信といい、長幼に序といい、君臣または治者・被治者の間に義というが如く、大切なる箇条・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・そして、果して現在方向づけられているようにアフリカへ向って、リビヤへ向って、エチオピヤへ向って土着種族から生活権を奪うことが、イタリーの文化人にとって最も望ましい唯一の脱出の道と考えられているのであろうか。私どもに考えさせる少からぬものがこ・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
・・・斯様なわけでアイヌの生活は真に趣があります、只彼等には文字のなかった事と、その生活を表現するだけの文明のない為に、だんだん亡びて行くような状態になったので、この種族を失う事はほんとうに惜しい事だと思います。〔一九一八年十月〕・・・ 宮本百合子 「親しく見聞したアイヌの生活」
・・・純正な宗教観から見れば、とかく云うべきことはあっても教会は、徒に狭い階級的、種族的生活からは一段高く、人類の心から人生を観ることを説き聞せ、友達となる男子は、彼女の裡に尊敬すべきもののあるのを予期した態度で幼年時代から交際している。 只・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・これがまた逆にヨーロッパに影響して、二十世紀の初めまで、相当に教養の高い人すらも、アフリカの土人は半獣的な野蛮人である、奴隷種族である、呪物崇拝のほか何も産出することのできなかった未開民族である、などと考えていたのであった。 が、この奴・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
・・・たといそういう種族のうちで生き残っている人があるとしても、そういう生活の仕方は、もう許されなくなっているであろう。しかしああいう存在はあっていいと思う。あれもギリシア人のいわゆるスコレーを楽しむ一つの仕方であろう。・・・ 和辻哲郎 「松風の音」
出典:青空文庫