・・・はじめ、連立って、ここへ庭樹の多い士族町を通る間に――その昔、江戸護持院ヶ原の野仏だった地蔵様が、負われて行こう……と朧夜にニコリと笑って申されたを、通りがかった当藩三百石、究竟の勇士が、そのまま中仙道北陸道を負い通いて帰国した、と言伝えて・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・倫理はこの人格価値感情を究竟の目的とすべきである。物の価値はただこの人格価値の手段としてのみ価値を持つのにすぎぬ。が人格価値はそれ自らの価値である。この人格価値を高めることが行為の目的である。快楽、幸福、福利は目的そのものとして追求せられる・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 彼は世界と人倫との究竟の理法と依拠とを求めずにはいられなかった。当時の学問と思想との文化的所与の下に、彼がそれを仏法に求めたのは当然であった。しかし仏法とは一体何であろう。当時の仏教は倶舎、律、真言、法相、三論、華厳、浄土、禅等と、八・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・人は知性と、一般に思想とを究竟のものと思ってはならないのである。人間の宇宙との一致、人間存在の最後の立命は知性と思想とをこえた境地である。いと高く、美しき思想もそれが思想である限りは、「なくてならぬ究竟唯一」のものではない。書物は究竟者その・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・もう一歩根本的に考えてみると畢竟わが国において火災特に大火災というものに関する科学的基礎的の研究がほとんどまるきりできていないということが究竟の原因であると思われる。そうして、この根本原因の存続する限りは、将来いつなんどきでも適当な必要条件・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・しかし人間の仕事は人情ということを離れて外に目的があるのではない、学問も事業も究竟の目的は人情のためにするのである。しかして人情といえば、たとい小なりとはいえ、親が子を思うより痛切なるものはなかろう。徒らに高く構えて人情自然の美を忘るる者は・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・ けだし社会は個々の家よりなるものにして、良家の集合すなわち良社会なれば、徳教究竟の目的、はたして良社会を得んとするにあるか、須らく本に返りて良家を作るべし。良家を作るの法は、兄弟姉妹をして友愛ならしめ、親子をして親ならしむるにあり。而・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・あとに残ったのは究竟の若者ばかりである。弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子襖を取り払った広間に家来を集めて、鉦太鼓を鳴らさせ、高声に念仏をさせて夜の明けるのを待った。これは老人や妻子を弔うためだとは言ったが、実は下人ども・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・学問も事業も究竟の目的は人情のためにするのだ。そういう意味のことが実に達意の文章で書いてある。あれを読んでわれわれは実に打たれた。ああいうふうに人生のことのよく解っている人ならば、あの哲学もよほど深いところのあるものに相違ない。そういう意味・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
・・・救われずして地獄の九圏の中に阿鼻叫喚しているはずの、たとえば歴山大王や奈翁一世のごとき人間がかえって人生究竟の地を示したか。これは未決問題である。宗教の信仰に救われて全能者の存在を霊妙の間に意識し断乎たる歩武を進めて Im schnen, ・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫