・・・るに重体の死に瀕した一日、橘之助が一輪ざしに菊の花を活けたのを枕頭に引寄せて、かつてやんごとなき某侯爵夫人から領したという、浅緑と名のある名香を、お縫の手で焚いてもらい、天井から釣した氷嚢を取除けて、空気枕に仰向けに寝た、素顔は舞台のそれよ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ Kは毛布を敷いて、空気枕の上に執筆に疲れた頭をやすめているか、でないとひとりでトランプを切って占いごとをしている。「この暑いのに……」 Kは斯う警戒する風もなく、笑顔を見せて迎えて呉れると、彼は初めてほっとした安心した気持にな・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・と傍の空気枕を引き寄せて、善平は身を横にしながら、そうしたところを綱雄に見せてやりたいものだ。となおも冷かし顔。 ようございます。いつまでもお弄りなさいまし。父様はね、そんな風でね、私なんぞのこともね、蔭ではどんなに悪く言っていらっしゃ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・お絹はそこにあった空気枕や膝掛けや、そうした手廻りのものを、手ばしこく纏めていた。 下へおりると、おひろが知らしたとみえて、森さんももうやってきて、別製の蓮羊羹なぞをおびただしく届けさせてきた。「先生、これはちょいといいもんです。お・・・ 徳田秋声 「挿話」
洋傘だけを置いて荷物を見にプラットフォームへ出ていた間に、児供づれの女が前の座席へ来た。反対の側へ移って、包みを網棚にのせ、空気枕を膨らましていると、「ああ、ああ、いそいじゃった!」 袋と洋傘を一ツの手に掴んだ肥っ・・・ 宮本百合子 「一隅」
出典:青空文庫