・・・アラビア人の馬方が道のまん中に突っ立った驢馬をひき寄せようとするがなかなかいこじに言うことを聞かない。馬方はとうとう自分ですべって引っくりかえって白いほこりがぱっと上がる。おおぜいがどっと笑う。これが序曲である。 一編の終章にはやはり熱・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・子猫をくわえたままに突っ立ち上がって窓のすきまから出ようとして狂気のようにもがいているさまはほんとうに物すごいようであった。その時の三毛の姿勢と恐ろしい目つきとは今でも忘れる事のできないように私の頭に焼きつけられた。 急いで戸をあけてや・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・飛び出しはしたものの、感心の極、流しへ突っ立ったまま、茫然として、仁王の行水を眺めている。「あの隣りの客は元来何者だろう」と圭さんが槽のなかから質問する。「隣りの客どころじゃない。その顔は不思議だよ」「もう済んだ。ああ好い心持だ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ 予審調書じゃないんだから、余り突っ込まないで下さい。 そのムンムンする蒸し暑い、プラタナスの散歩道を、私は歩いていた。何しろ横浜のメリケン波戸場の事だから、些か恰好の異った人間たちが、沢山、気取ってブラついていた。私はその時、私がどん・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・判者が外の人であったら、初から、かぐや姫とつれだって月宮に昇るとか、あるいは人も家もなき深山の絶頂に突っ立って、乱れ髪を風に吹かせながら月を眺めて居たというような、凄い趣向を考えたかもしれぬが、判者が碧梧桐というのだから先ず空想を斥けて、な・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・笑うてかなたの障子を開けば大空に突っ立ちあがりし万仞の不尽、夕日に紅葉なす雲になぶられて見る見る万象と共に暮れかかるけしき到る処風雅の種なり。 はしなく浮世の用事思いいだされければ朝とくより乗合馬車の片隅にうずくまりて行くてを急ぎたる我・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・と大きな声で一人ごちて道のまんなかに突ったってちょうちんや幕のはなやかにかざってあるのを見まわして居る。人力が来た。リンをチリンチリンとならして走って来た。彼はつんぼだからきこえないのだろう、まだぼんやりと見まわして居る。私は大急で走けつけ・・・ 宮本百合子 「心配」
・・・ がはあおっかねえとは…… 心の内でびっくりしながら、まきやさだは番頭が厭な顔をするのも平気で、真正面に突っ立ったまま、不遠慮にその顎のとがった顔を見守っている。 禰宜様宮田は行きたくなかった。 そんな立派な家へ、何も知らな・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・彼は彼の何者よりも高き自尊心を打ち砕かれた。彼は突っ立ち上ると大理石の鏡面を片影のように辷って行くハプスブルグの娘の後姿を睨んでいた。「ルイザ」と彼は叫んだ。 彼女の青ざめた顔が裸像の彫刻の間から振り返った。ナポレオンの烱々とした眼・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・時々突っ立った太股の林が揺らめくと、射し込んだ夕日が、魚の波頭で斬りつけた刃のように鱗光を閃めかした。 彼は魚の中から丘の上を仰いで見た。丘の花壇は、魚の波間に忽然として浮き上った。薔薇と鮪と芍薬と、鯛とマーガレットの段階の上で、今しも・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫