・・・この男はこの店にはなじみでないと見えてさっきから口をきかなかったのである。突き出したのが白馬の杯。文公はまたも頭を横に振った。「一本つけよう。やっぱりこれでないと元気がつかない。代はいつでもいいから飲ったほうがよかろう。」と亭主は文公が・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・と近藤はその四角な腮を突き出した。「君は何方なんです、牛と薯、エ、薯でしょう?」と上村は知った顔に岡本の説を誘うた。「僕も矢張、牛肉党に非ず、馬鈴薯党にあらずですなア、然し近藤君のように牛肉が嗜きとも決っていないんです。勿論例の主義・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・両側の扉から憲兵が、素早く手を突き出して、掴まえるだろう。彼は、外界から、確然と距てられたところへ連れこまれた。そこには、冷酷な牢獄の感じが、たゞよっていた。「なんでもない。一寸話があるだけだ。来てくれないか。」病院へ呼びに来た憲兵上等兵の・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 健二は顔を前に突き出した。――今年は不作だったので地子を負けて貰おう。取り入れがすんですぐ、その話があったのは彼も知っていた。それから、かなりごた/\していた。が、話がどうきまったか、彼はまだ知らなかった。 杜氏は、話す調子だけは・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・が、酒呑根性で、今一盃と云わぬばかりに、猪口の底に少しばかり残っていた酒を一息に吸い乾してすぐとその猪口を細君の前に突き出した。その手はなんとなく危げであった。 細君が静かに酌をしようとしたとき、主人の手はやや顫えて徳利の口へカチンと当・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・あ、あ、あ、と傍若無人、細長き両の腕を天井やぶれよ、とばかりに突き出して、しかもその口の大きさ、歯の白さ、さながら、馬の顔であった。われに策あり、太宰治さん。自分について、色んなことを書きたくなりました。もう二、三十ペエジ読んで下されば幸甚・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ああ、いい山だなあと、背を丸め、顎を突き出し、悲しそうに眉をひそめて、見とれている。あわれな姿である。その眼前の、凡庸な風景に、おめぐみ下さい、とつくづく祈っている姿である。蟹に、似ていた。四、五年まえまでの笠井さんは、決してこんな人ではな・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・球をころがすとする。球を突き出したときの初速度が与えられればその後に球の動き行くべき道程は予言され、それが最後に静止する位置も少なくも原理的には立派に予報されるはずである。しかるに逆転映画の世界で最初に静止している球が与えられている場合に、・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・芋の横腹から突き出した子芋をつけているのもたくさんあった。 子供らが見つけてやって来ていじり回した。一つ一つ「帽子」を脱ぎ取って縁側へ並べたり子芋の突起を鼻に見立てて真書き筆でキューピーの顔をかき上げるものもあった。 何か西洋草花の・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・左の土手から古榎が無遠慮に枝を突き出して日の目の通わぬほどに坂を蔽うているから、昼でもこの坂を下りる時は谷の底へ落ちると同様あまり善い心持ではない。榎は見えるかなと顔を上げて見ると、あると思えばあり、無いと思えば無いほどな黒い者に雨の注ぐ音・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫