・・・ともう真中へ座蒲団を持出して、床の間の方へ直しながら、一ツくるりと立身で廻る。「構っちゃ可厭だよ。」と衝と茶の間を抜ける時、襖二間の上を渡って、二階の階子段が緩く架る、拭込んだ大戸棚の前で、入ちがいになって、女房は店の方へ、ばたばたと後・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・けれど、ぐっすりとすぐに眠りに陥ることができなかった。「都会が、いたずらに華美であり、浮薄であることを知らぬのでない。自分は、かつて都会をあこがれはしなかった。けれど、立身の機会は、つかまなければならぬ。世の中へ出るには、ただあせっても・・・ 小川未明 「空晴れて」
・・・教師さえも全くは覚束ないのですけれど、叔母の家が村の旧家で、その威光で無理に雇ってもらったという次第でございました、母の病気の時、母はくれぐれも女に気をつけろと、死ぬる間際まで女難を戒しめ、どうか早く立身してくれ、草葉の蔭から祈っているぞと・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・そこにも、支配階級の立場と、当時の進取的な、いわゆる立身成功を企図したブルジョアイデオロギーの反映がある。「愛弟通信」を読み終って、これが、新聞への通信ということに制約されたにもよるのだろうが、戦闘ばかりでなく、戦闘から戦闘への間の無為・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・私は、あなたを、この世で立身なさるおかたとは思わなかったのです。死ぬまで貧乏で、わがまま勝手な画ばかり描いて、世の中の人みんなに嘲笑せられて、けれども平気で誰にも頭を下げず、たまには好きなお酒を飲んで一生、俗世間に汚されずに過して行くお方だ・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・百姓の子が学問して後に立身するは、親の心にあくまでも望む所なれども、いかんせん、その子は今日家内の一人にして、これを手離すときはたちまち世帯の差支となりて、親子もろとも飢寒の難渋まぬかれ難し。これを下等の貧民幾百万戸一様の有様という。 ・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・ また、封建世禄の世において、家の次男三男に生れたる者は、別に立身の道を得ず。あるいは他の不幸にして男児なき家あれば、養子の所望を待ちてその家を相続し、はじめて一家の主人たるべし。次三男出身の血路は、ただ養子の一方のみなれども、男児なき・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・氏は新政府に出身して啻に口を糊するのみならず、累遷立身して特派公使に任ぜられ、またついに大臣にまで昇進し、青雲の志達し得て目出度しといえども、顧みて往事を回想するときは情に堪えざるものなきを得ず。 当時決死の士を糾合して北海の一隅に苦戦・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ 二、ペンネンネンネンネン・ネネムの立身 ペンネンネンネンネン・ネネムは十年のあいだ木の上に直立し続けた為にしきりに痛む膝を撫でながら、森を出て参りました。森の出口に小さな雑貨商がありましたので、ネネムは店にはいって、ま・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・グリュントゲンスは才能はあったが、あとではナチスに加って、ベルリン国立劇場支配人と立身したような性格であったため、エリカの結婚生活はながくつづかず、離婚して故郷のミュンヘンにかえった。そして、国立劇場や小劇場に出演した。ショウの「セント・ジ・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
出典:青空文庫