・・・ 私たちは葉巻の煙の中に、しばらくは猟の話だの競馬の話だのをしていましたが、その内に一人の友人が、吸いさしの葉巻を暖炉の中に抛りこんで、私の方へ振り向きながら、「君は近頃魔術を使うという評判だが、どうだい。今夜は一つ僕たちの前で使っ・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・ その翌日には競馬があった。場主までわざわざ函館からやって来た。屋台店や見世物小屋がかかって、祭礼に通有な香のむしむしする間を着飾った娘たちが、刺戟の強い色を振播いて歩いた。 競馬場の埒の周囲は人垣で埋った。三、四軒の農場の主人たち・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・表飾りの景気から推せば、場内の広さも、一軒隣のアラビヤ式と銘打った競馬ぐらいはあろうと思うのに、筵囲いの廂合の路地へ入ったように狭くるしく薄暗い。 正面を逆に、背後向きに見物を立たせる寸法、舞台、というのが、新筵二三枚。 前に青竹の・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・「前の細君が生きてた頃に入れたのだから、忘れる筈だよ、実はあの頃、まだ競馬があったろう」「うん、ズボラ者の君が競馬だけは感心に通ったね」「その金はその頃競馬の資金に、細君に内緒で本の間へかくして置いたんだ。あいつ競馬というと、金・・・ 織田作之助 「鬼」
朝からどんより曇っていたが、雨にはならず、低い雲が陰気に垂れた競馬場を黒い秋風が黒く走っていた。午後になると急に暗さが増して行った。しぜん人も馬も重苦しい気持に沈んでしまいそうだったが、しかしふと通り魔が過ぎ去った跡のような虚しい慌し・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・冷やし飴も売り、夜泣きうどんの屋台車も引いた。競馬場へ巻寿司を売りに行ったこともある。夜店で一銭天婦羅も売った。 二十八の歳に朝鮮から仕入れた支那栗を売って、それが当って相当の金が出来ると、その金を銀行に預けて、宗右衛門町の料亭へ板場の・・・ 織田作之助 「世相」
・・・私は競馬は好きだが、人が思うほど熱中しているわけではないから、それで身を亡ぼすことはあるまい。女――身を亡ぼしそうになったこともあり、げんに女のことで苦しめられているから、今後も保証できないが、しかしもう女のことではこりている。酒は大丈夫だ・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・「世相」は書きつづけるつもりだ。「競馬」もあれで完結していない。あのあと現代までの構想があったが、それを書いて行っても、おそらく完結しないだろう。僕は今まで落ちを考えてから筆を取ったが、今は落ちのつけられない小説ばかし書いている。因みに「世・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・(春先からの徴候が非道「あの辺が競馬場だ。家はこの方角だ」 自分は友人と肩を並べて、起伏した丘や、その間に頭を出している赤い屋根や、眼に立ってもくもくして来た緑の群落のパノラマに向き合っていた。「ここからあっちへ廻っ・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・ドガの競馬の画が、その中でも一ばん自慢のものらしい。けれども、自分の趣味の高さを誇るような素振りは、ちっとも見せない。美術に関する話も、あまりしない。毎日、自分の銀行に通勤している。要するに、一流の紳士である。六年前に先代がなくなって、すぐ・・・ 太宰治 「水仙」
出典:青空文庫