・・・すると婆さんは驚きでもするかと思いの外、憎々しい笑い声を洩らしながら、急に妙子の前へ突っ立ちました。「人を莫迦にするのも、好い加減におし。お前は私を何だと思っているのだえ。私はまだお前に欺される程、耄碌はしていない心算だよ。早速お前を父・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ Mの何か言いかけた時、僕等は急に笑い声やけたたましい足音に驚かされた。それは海水着に海水帽をかぶった同年輩の二人の少女だった。彼等はほとんど傍若無人に僕等の側を通り抜けながら、まっすぐに渚へ走って行った。僕等はその後姿を、――一人は真・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・というと、その跡は吉弥の笑い声で説明された。「それでは、いッそだまっておれば儲かったのに」「ほんとに、あたい、そうしたらよかった」「あいにく銅貨が二、三銭と来たら、いかに吉弥さんでも驚くだろう」「この子はなかなか欲張りですよ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・或る晩、誰だかの落語を聴きに行くと、背後で割れるような笑い声がした。ドコの百姓が下らぬ低級の落語に見っともない大声を出して笑うのかと、顧盻って見ると諸方の演説会で見覚えの島田沼南であった。例の通りに白壁のように塗り立てた夫人とクッつき合って・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・それが歌い終わると、にぎやかな笑い声が起こって楽しそうにみんなが話をしています。じいさんは喜んで、笑い顔をして目を細くして、三人の娘らの顔を見比べているようでありました。三 さよ子は、この世間にも、楽しい美しい家庭があるもの・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・ 男は女のいることなぞまるで無視したように、まくし立て、しまいには妙な笑い声を立てた。「いずれ、こんど……」 機会があったら飲みましょうと、ともかく私は断った。すると、男は見幕をかえて、「こない言うても飲みはれしまへんのんか・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・お君はもう笑い声を立てることもなかった。お君の関心が豹一にすっかり移ってしまったので、安二郎は豹一の存在を徳とし、豹一の病気を本能的に怖れていても公然とはいやな顔をしなかった。 しかし豹一は二月も寝ていなかった。絶えず何かの義務を自分に・・・ 織田作之助 「雨」
・・・東の窓に映る日影珍しく麗かなり、階下にては母上の声す、続いて聞こゆる声はまさしく二郎が叔母なり、朝とく来たりて何事の相談ぞと耳そばだつれど叔母の日ごろの快活なるに似ず今朝は母もろともしめやかに物語して笑い声さえ雑えざるは、いぶかしさに堪えず・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・この時母屋でドッと笑い声がした。お梅はいまいましそうに舌うちをして、ほんとにいつまでやってるんだろうとつぶやきながら道へ出た。橋の上で話し声が聞こえるようだから、もしかと思って来ると先生一人、欄干に倚っかかッて空を仰いでいた。『オヤお一・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・ 白樺の下で、軍曹が笑い声でこんなことを云っているのが栗本に聞えてきた。 栗本は銃を杖にして立ち上った。 兵士達は、靴を引きずりながら、草の上を進んだ。彼等は湿って水のある方へ出て行った。草は腰の帯革をかくすくらいに長く伸び茂っ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
出典:青空文庫