・・・そのいくつかの原稿を読んで感じたことは、若い女のひとたちが、生活の日々に起るさまざまの事件やそこに登場して来る人々に対する好意や憎悪の感情を、いつも自分中心に感じてだけいて、第三者の位置に自分をおいてみて、自分の心持や対手の心持を眺めようと・・・ 宮本百合子 「女の自分」
・・・書きたい、としても、それらのつづいておこって来てはいてもバラバラしている印象を片端から書きしるして行っただけでは、やっぱり第三者にまで感銘を実感として伝えることは出来ないでしょう。自分としてもどうもぴったり来るように書けないと失望しがちです・・・ 宮本百合子 「結論をいそがないで」
・・・語る人々もいつの間にやら、幸福の二字が身のまわりにもち来っている観念の妖術にかかってしまうことが多い。第三者は、それらの検討や分析やらを見て、ああ何と熱心にいじられている事だろう! けれども、ここに幸福の輝きは溢れていないと、更に一層ゆくえ・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・ 作者としては、このごろやっと一つのところへ出て来たが、このおかしな方法――だがわたしにとってそれしかなかった方法を、全く第三者として分析する能力には達していない。 三 風がわりな歩調で歩いて来たにせよ・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・林氏は、第三者から見れば自身もその成生にはあずかっていたことを見忘れ得ないプロレタリア文学の存在を、否定しはじめた。プロレタリア文学がその本質としてもっている現実の認識、芸術評価の問題等を蹴ちらして、作家は何でも作品さえ書いておればいいのだ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・文学作品として書かれるべきものがみずからの表現を得るというのではなくて、作者自身の風俗が展開されるばかりで、「文学は自分自身に対していよいよ第三者的たらざるを得ない。」作者と作品との正常な関係は、作者の熱意と意企が、書こうとする対象に文学と・・・ 宮本百合子 「作家に語りかける言葉」
・・・ファブルの伝記者は、アナトール・フランスがファブルの文章は悪文であると云ったということをおこっているが、今日の第三者は、フランスはやはり文学の正道から見ての真実を云ったと思わざるを得ないのである。 科学と文学の交流・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・ 民主的出版物の編集が、ひとり合点で、不馴れであるし拙劣である上に、第三者に真の努力を感じさせるだけの迫力を欠いているということは、出版文化委員会の席上で、しばしば発言されたことであった。出版の仕事は客観的な現実のうちにさらされている事・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・などという伊藤氏の理解について、第三者には自ずから明かである。その見方の誤りやそういう人間の見方そのものにあらわれている筆者の感情、偏執その他についてここでくどくどとふれる必要はないと思う。私はこの機会に月評の中で述べたいと思って枚数の足り・・・ 宮本百合子 「数言の補足」
・・・著者にとりてこれは不幸な偶然であるのかもしれないけれども、第三者の心には、今日の日本の文化の肌理はこうなって来ているかという、一種の感慨を深くさせるのであった。 そして、「学生の生態」という題は、じっとみているうちにまた別の面で私たちの・・・ 宮本百合子 「生態の流行」
出典:青空文庫