・・・ 鴎外は早くから筆蹟が見事だった。晩年には益々老熟して蒼勁精厳を極めた。それにもかかわらず容易に揮毫の求めに応じなかった。殊に短冊へ書くのが大嫌いで、日夕親炙したものの求めにさえ短冊の揮毫は固く拒絶した。何でも短冊は僅か五、六枚ぐら・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ほんまに、男の方て、筆蹟をみたらいっぺんにその人がわかりますのねえ」 私はむかむかッとして来た、筆蹟くらいで、人間の値打ちがわかってたまるものか、近頃の女はなぜこんな風に、なにかと言えば教養だとか、筆蹟だとか、知性だとか、月並みな符号を・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・しかし、文壇にしても相当怪しい会話を平気で書いている作家が多く、そのエスプリのなさは筆蹟と同じで、どうにもなおし難いものかも知れない。 文壇で、女の会話の上品さを表現させたら、志賀直哉氏の右に出るものがない。が、太宰治氏に教えられたこと・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・つまりその軍事郵便は五年振りに見るなつかしいSの筆蹟をあらわしていたのだ。しかも、それによれば、Sは明日第一線へ出発するというのである。××港から船に乗り込む前の二時間ばかり、××町の東三〇〇米の地点で休憩するから面会に来てくれというSの頼・・・ 織田作之助 「面会」
・・・たどたどしい幼女の筆蹟である。 オ星サマ。日本ノ国ヲオ守リ下サイ。 大君ニ、マコトササゲテ、ツカエマス。 はっとした。いまの女の子たちは、この七夕祭に、決して自分勝手のわがままな祈願をしているのではない。清純な祈りであると思った・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・妹の苦しみを見かねて、私が、これから毎日、M・Tの筆蹟を真似て、妹の死ぬる日まで、手紙を書き、下手な和歌を、苦心してつくり、それから晩の六時には、こっそり塀の外へ出て、口笛吹こうと思っていたのです。 恥かしかった。下手な歌みたいなものま・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・「流石にいい句ですね。」私はまた下手なお追従を言った。「筆蹟にも気品があります。」「何を言っているんだ。君はこないだ、贋物じゃないかなんて言って、けちを附けてたじゃないか。」「そうでしたかね。」私は赤面した。「お茶を飲みに来たん・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・ 藤村庵というのがあって、そこには藤村氏の筆跡が壁に掛け並べてあったり、藤村文献目録なども備えてある。現に生きて活動している文人にゆかりのある家をこういうふうにしてあたかも古人の遺跡のように仕立ててあるのもやはりちょっと珍しいような気が・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・きならべ、貴下の随筆も必ず何か種の出所があるだろうというようなことを婉曲に諷した後に、急に方向を一転して自分の生活の刻下の窮状を描写し、つまりは若干の助力に預りたいという結論に到達しているのであった。筆跡もなかなか立派だし文章も達者である。・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・表通りの小さい格子戸の家々の一画はとり払われて、ある大きい実業家の屋敷となっているが、三年前の二月ごろから表札が代って、姓だけを上の方にちょこんと馴れぬ筆蹟で書いたものが、太い石の門柱に出されている。〔一九三九年六月〕・・・ 宮本百合子 「からたち」
出典:青空文庫