・・・父と結婚――私もまだ生れなかった頃の日記には二人で散歩した事や毎日毎日じゃがいもを食べていたことなど、ちゃんと鵞堂流の筆蹟で書いてあって、私はその頃の生活状態、母のもっていた教養いろいろなものをおもしろく感じます。後年に至ると、もっと歴史的・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・二十七日には私に判読出来かねる乱れた筆蹟で短い英語がかかれているだけです。 或る別の手帳をあけて見たら、何かに打ち興じた折、誰かから教わったのでしょう、支那音と註して中條精一郎と片仮名のルビを丁寧につけたのがありました。〔一九三七年・・・ 宮本百合子 「父の手帳」
・・・けれども、その時分は、ただ筆蹟がきれいだということ位しか認められていなかった彼の喜劇はどうも思うようではなく、つづけて二つ小説を考えたが、それは題だけは出来てものにならなかった。「ああロオル、ロオル!」と彼はその頃書いた妹への手紙で訴え・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・小判の白い平凡な書簡箋に見馴れた父の万年筆の筆蹟で、ところどころ消したり、不規則に書体を変えたり、文句を訂正したりしながら二十行の詩が書かれているのであった。 六十九歳の父が最後のおくりもの、或は訴えとして娘の私にのこしたその詩の題は ・・・ 宮本百合子 「わが父」
・・・団十郎の筆蹟は永機そっくりであった。この永機は明治初年の頃に向島の三囲社内の其角堂に住み、後芝円山辺に家を移して没した。没した日は明治三十七年一月十日で、行年八十二歳であった。寺は其角と同じく二本榎上行寺である。」文淵堂の言に従えば、わたく・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫