・・・ その内に筑波颪しがだんだん寒さを加え出すと、求馬は風邪が元になって、時々熱が昂ぶるようになった。が、彼は悪感を冒しても、やはり日毎に荷を負うて、商に出る事を止めなかった。甚太夫は喜三郎の顔を見ると、必ず求馬のけなげさを語って、この主思・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・また筑波でわかる。筑波の影が低く遥かなるを見ると我々は関八州の一隅に武蔵野が呼吸している意味を感ずる。 しかし東京の南北にかけては武蔵野の領分がはなはだせまい。ほとんどないといってもよい。これは地勢のしからしむるところで、かつ鉄道が通じ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・男ひじりと女ひじりともに住みたまふみ山はあれか筑波こほしも 二人の中に共通の道を持ち、事業を持ち、それによって燃え上る恋もまた美しい。ひとつに融け合う夫婦生活は尊い。ブース夫婦。ガンジー夫婦。リープクネヒト夫婦。孫文夫婦。乃・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ところが先年筑波山の北側の柿岡の盆地へ行った時にかの地には珍しくない「地鳴り」の現象を数回体験した。その時に自分は全く神来的に「孕のジャンはこれだ」と感じた。この地鳴りの音は考え方によってはやはりジャーンとも形容されうる種類の雑音であるし、・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・不動様のお三日という午過ぎなぞ参詣戻りの人々が筑波根、繭玉、成田山の提灯、泥細工の住吉踊の人形なぞ、さまざまな玩具を手にさげたその中には根下りの銀杏返しや印半纏の頭なども交っていて、幾艘の早舟は櫓の音を揃え、碇泊した荷舟の間をば声を掛け合い・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・冬木町の名も一時廃せられようとしたが、居住者のこれを惜しんだ事と、考証家島田筑波氏が旧記を調査した小冊子を公刊した事とによって、纔に改称の禍 冬木弁天の前を通り過ぎて、広漠たる福砂通を歩いて行くと、やがて真直に仙台堀に沿うて、大横川の岸・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・そのたびたびわたくしは河を隔てて浅草寺の塔尖を望み上流の空遥に筑波の山影を眺める時、今なお詩興のおのずから胸中に満ち来るを禁じ得ない。そして恨然として江戸徃昔の文化を追慕し、また併せてわが青春の当時を回想するのである。 震災の後わたくし・・・ 永井荷風 「向嶋」
白魚、都鳥、火事、喧嘩、さては富士筑波の眺めとともに夕立もまた東都名物の一つなり。 浮世絵に夕立を描けるもの甚多し。いずれも市井の特色を描出して興趣津々たるが中に鍬形くわがたけいさいが祭礼の図に、若衆大勢夕立にあいて花・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・ 背がのびる草だからと云って後の方に植えて置いたコスモスがいつだったかの大風でのめったまんまになって居るので、ダリヤだの筑波根草だのと云うあんまり大きくないものは皆その下に抱え込まれてしまって居る。 八つになる弟が強請んで種を下して・・・ 宮本百合子 「後庭」
・・・ 其処は、佐竹さんの所有地で道灌山のすぐ傍にあたる所であったのだ。 それから後屡々私は弟達と遊びに行った。林の奥では彼の時の様に小鳥が囀り日は同じ様に黄金色に光って居る。 筑波山の天狗は何時まで生きて居るだろう。 私と叔父が・・・ 宮本百合子 「追憶」
出典:青空文庫