・・・ 京橋区内では○木挽町一、二丁目辺の浅利河岸○新富町旧新富座裏を流れて築地川に入る溝渠○明石町旧居留地の中央を流れた溝渠。むかし見当橋のかかっていた川○八丁堀地蔵橋かかりし川、その他。 日本橋区内では○本柳橋かかりし薬研堀の溝渠・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・雑誌『三田文学』を発売する書肆は築地の本願寺に近い処にある。華美な浴衣を着た女たちが大勢、殊に夜の十二時近くなってから、草花を買いに出るお地蔵さまの縁日は三十間堀の河岸通にある。 逢うごとにいつもその悠然たる貴族的態度の美と洗錬された江・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 二 まだ築地本願寺側の僑居にあった時、わたしは大に奮励して長篇の小説に筆をつけたことがあった。その題も『黄昏』と命じて、発端およそ百枚ばかり書いたのであるが、それぎり筆を投じて草稿を机の抽斗に突き込んでしまった・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・浅草橋の野田屋や築地の丁字屋から借舟をするにしても、バッテラと荷足とは一日の借賃に非常な相違があった。 土曜といわず日曜といわず学校の帰り掛けに書物の包を抱えたまま舟へ飛乗ってしまうのでわれわれは蔵前の水門、本所の百本杭、代地の料理屋の・・・ 永井荷風 「夏の町」
今からもう二十一二年昔、築地の方に、Sと云う女学校がありました。その女学校の一年の組に、政子さんと芳子さんと云う生徒が居りました。私はこれから此の両人と、両人のお友達だった友子さんと云う人との間にあった事を皆さんに聞いて戴・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・官吏、軍人、実業家の大頭の連中が、待合にゆくのが遊蕩であると考える俗人を睥睨して集合する築地の有名な待合×××を、この新聞の読者の何人が日常の接触で知っているであろうか、という質問によって。―― 横光利一氏などが中心に十円会という会があ・・・ 宮本百合子 「「大人の文学」論の現実性」
・・・翌一九三三年の二月二十日に小林多喜二が築地署で拷問のために虐殺された。つづいて、野呂栄太郎が検挙され、このひとは宿痾の結核のために拷問で殺されなくても命のないことは明白であると外部でも噂されている状態だった。 一九三三年は、日本の権力が・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・幸な事にはまだ紙型が築地の活版所から受け取って無かったので、これは災を免れた。そのうちに第一部の正誤が出来たので、一面紙型を象嵌で直し、一面正誤表を印刷することを富山房に要求した。第一部の象嵌は出来た。しかし燼余の五百部は世間の誅求が急なの・・・ 森鴎外 「訳本ファウストについて」
・・・足利時代からあったお城は御維新のあとでお取崩しになって、今じゃ塀や築地の破れを蔦桂が漸く着物を着せてる位ですけれど、お城に続いてる古い森が大層広いのを幸いその後鹿や兎を沢山にお放しになって遊猟場に変えておしまいなさり、また最寄の小高見へ別荘・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・ところが筑紫へ赴任する前に、ある日前栽で花を見ていると、内裏を拝みに来た四国の田舎人たちが築地の外で議論するのが聞こえた。その人たちは玉王を見て、あれはらいとうの衛門の子ではないかと言って騒いでいたのである。玉王はそれを聞いて、自分が鷲にさ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫