・・・遊人嘔唖歌吹シ遅遅タル春日興ヲ追ヒ歓ヲ尽シテ、惟夕照ノ西ニ没シ鐘声ノ暮ヲ報ズルヲ恨ムノミ。」となしている。 桜花は上野の山内のみならず其の隣接する谷中の諸寺院をはじめ、根津権現の社地にも古来都人の眺賞した名木が多くある。斎藤月岑の東都歳・・・ 永井荷風 「上野」
・・・そうして噺が興に乗じて来る時不器用に割った西瓜が彼等の間に置かれるのである。白い部分まで歯の跡のついた西瓜の皮が番小屋の外へ投げられた。太十は指で弾いて見て此は甘いと自慢をいいながらもいで来ることもあった。暑い日に照られて半分は熱い西瓜でも・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・動くとも見えぬ白帆に、人あらば節面白き舟歌も興がろう。河を隔てて木の間隠れに白くひく筋の、一縷の糸となって烟に入るは、立ち上る朝日影に蹄の塵を揚げて、けさアーサーが円卓の騎士と共に北の方へと飛ばせたる本道である。「うれしきものに罪を思え・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・と、頓興な声を上げたので、一同その方を見返ると、吉里が足元も定まらないまで酔ッて入ッて来た。 吉里は髪を櫛巻きにし、お熊の半天を被ッて、赤味走ッたがす糸織に繻子の半襟を掛けた綿入れに、緋の唐縮緬の新らしからぬ長襦袢を重ね、山の入ッた紺博・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・また宴席、酒酣なるときなどにも、上士が拳を打ち歌舞するは極て稀なれども、下士は各隠し芸なるものを奏して興を助る者多し。これを概するに、上士の風は正雅にして迂闊、下士の風は俚賤にして活溌なる者というべし。その風俗を異にするの証は、言語のなまり・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・羇旅佳興に入るの時汽車人を載せて大磯に帰る。 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ 鳥はみんな興をさまして、一人去り二人去り今はふくろうだけになりました。ふくろうはじろじろ室の中を見まわしながら、 「たった六日だったな。ホッホ たった六日だったな。ホッホ」 とあざ笑って、肩をゆすぶって大股に出て行きまし・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・第一の精霊 女子のかたくななのは興のさめるものじゃ、良い子じゃ聞き分けて休んでお出でなされ。精女 まことに――我がままで相すみませんでございますけれ共お主様に捧げました体でございますから自分の用でひまをつぶす事は気がとがめますで・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・弟には忠利が三斎の三男に生まれたので、四男中務大輔立孝、五男刑部興孝、六男長岡式部寄之の三人がある。妹には稲葉一通に嫁した多羅姫、烏丸中納言光賢に嫁した万姫がある。この万姫の腹に生まれた禰々姫が忠利の嫡子光尚の奥方になって来るのである。目上・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・幾千万の心霊を清きに救いその霊の住み家たる肉体を汚れより導き出すために誠心の興奮は吾人の肉骸を犠牲に供す。「愛国心」はこの見地に立つ。「愛国心」は変体して忠君となった。 忠君の血を灑ぎ愛国の血を流したる旅順には凶変を象どる烏の群れが骸骨・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫