・・・しかしこの便器の中の糞尿もどうにか始末をつけなければならぬ。その始末をつけるのが除糞人と呼ばれる人々である。 もう髪の黄ばみかけた尼提はこう言う除糞人の一人である。舎衛城の中でも最も貧しい、同時に最も心身の清浄に縁の遠い人々の一人である・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・ いま現在の生活からその土台になっている過去の生活を正確に顧みて、これを誤りなく記述する事は容易でない。糞尿を分析すれば飲食した物の何であったかはこれを知ることが出来るが、食った刹那の香味に至っては、これを語って人をして垂涎三尺たらしむ・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・大とこの糞ひりおはす枯野かないばりせし蒲団干したり須磨の里糞一つ鼠のこぼす衾かな杜若べたりと鳶のたれてける 蕪村はこれら糞尿のごとき材料を取ると同時にまた上流社会のやさしく美しき様をも巧みに詠み出でたり。・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・この作家は、他の何人かの作家と共に応召して戦野に赴いた一人であり、応召までの文学的経験もあって、その「糞尿譚」は文芸春秋社の芥川賞に当選した。「糞尿譚」は糞尿汲取の利権をめぐる地方の小都市の政党的軋轢を題材として、文章の性格は説話体であり、・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 誰にでも目につく一人の作家の例について考えると、例えば火野葦平という作家が「糞尿譚」から「麦と兵隊」その他の筆者として働いて来て、さてこれから、どのような方向にその成長の実質を高めて行くだろうかというようなことも、日本の文学の一方に注・・・ 宮本百合子 「地の塩文学の塩」
・・・するとそこには「糞尿譚」の作者があり、つづいて麦と土と花と兵隊の作者があり、やがて河童の「魚眼記」が現れている。この過程に何が語られているだろう。「土と兵隊」の作者に「魚眼記」の現れたのは誰そのひとだけにかかわった現実であって、私たちには他・・・ 宮本百合子 「日本の河童」
・・・「糞尿譚」の題材と文章との間にはギャップがあって、いかにもあの作の書かれた時の文壇を語っているものだが、彼の生活経験は、ああいう贅肉と線とをどのように引しめたであろうか。蓄積された経験はこれから、どんな文学の成果となって現れて来得るであろう・・・ 宮本百合子 「文学の流れ」
出典:青空文庫