・・・ 途中で見た上阪の中途に、ばりばりと月に凍てた廻縁の総硝子。紅色の屋号の電燈が怪しき流星のごとき光を放つ。峰から見透しに高い四階は落着かない。「私も下が可い。」「しますると、お気に入りますかどうでございましょうか。ちとその古びて・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・白い桔梗と、水紅色の常夏、と思ったのが、その二色の、花の鉄線かずらを刺繍した、銀座むきの至極当世な持もので、花はきりりとしているが、葉も蔓も弱々しく、中のものも角ばらず、なよなよと、木魚の下すべりに、優しい女の、帯の端を引伏せられたように見・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・姉のは黄色く妹のは紅色のりぼんがまた同じようにひらひらと風になびく。予は後から二児の姿を見つつ、父という感念がいまさらのように、しみじみと身にこたえる。「お父さんあれ家だろう。あたいおぼえてるよ」「あたいだって知ってら、うれしいなァ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・中にも、うす紅色のコスモスの花がみごとでした。縁側の日当たりに、十ばかりの少女が、すわって、兄さんの帰るのを待っていました。その子は、病気と思われるほど、やせていました。しかし、目は、ぱっちりとして、黒く大きかったのでした。 兄さんは、・・・ 小川未明 「少年と秋の日」
・・・酒の廻りしため面に紅色さしたるが、一体醜からぬ上年齢も葉桜の匂無くなりしというまでならねば、女振り十段も先刻より上りて婀娜ッぽいいい年増なり。「そう悪く取っちゃあいけねエ。そんなら実の事を云おうか、実はナ。「アアどうするッてエの。・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・燐みを乞う切ない眼の潤み、若い女の心の張った時の常の血の上った頬の紅色、誰が見てもいじらしいものであった。「どうぞ、然様いう訳でございますれば、……の御帰りになりまする前までに、こなた様の御力を以て其品を御取返し下さいまするよう。」・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ふと見ると、月夜で、富士がほのかに見えて、気のせいか、富士も焔に照らされて薄紅色になっている。四辺の山々の姿も、やはりなんだか汗ばんで、紅潮しているように見えるのである。甲府の火事は、沼の底の大焚火だ。ぼんやり眺めているうちに、柳町、先夜の・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・橙紅色の丸薬のような実の落ち散ったのを拾って噛み砕くと堅い核の中に白い仁があってそれが特殊な甘味をもっているのであった。この榎樹から東の方に並んで数本の大きな椋の樹があった。椋の実はちょっと干葡萄のような色と味をもっている。これが馬糞などと・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・映画では黒いだけのこの血が実際にはいかに美しく物すごい紅色を氷海のただ中に染め出したことであろう。そのうちにまたいくつかの弾をくらったらしい。いくら逃げても追い駆けて来る体内の敵をまくつもりで最後の奥の手を出してま近な二つの氷盤の間隙にもぐ・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・燃えるような緋紅色の花と紫がかった花とがおもしろく入り交じって愉快な見ものであった。なんという名のばらか知りたいと思ったが、現場には、品種名の建て札もなく、まただれの出品かもわからなかった。数日後にまた日比谷で「ばらの展覧会」が開かれたので・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
出典:青空文庫