・・・伝右衛門の姿を見ると、良雄に代って、微笑しながらこう云った。伝右衛門の素朴で、真率な性格は、お預けになって以来、夙に彼と彼等との間を、故旧のような温情でつないでいたからである。「早水氏が是非こちらへ参れと云われるので、御邪魔とは思いなが・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・おぎんの心は両親のように、熱風に吹かれた沙漠ではない。素朴な野薔薇の花を交えた、実りの豊かな麦畠である。おぎんは両親を失った後、じょあん孫七の養女になった。孫七の妻、じょあんなおすみも、やはり心の優しい人である。おぎんはこの夫婦と一しょに、・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・それはいずれも見慣れない、素朴な男女の一群だった。彼等は皆頸のまわりに、緒にぬいた玉を飾りながら、愉快そうに笑い興じていた。内陣に群がった無数の鶏は、彼等の姿がはっきりすると、今までよりは一層高らかに、何羽も鬨をつくり合った。同時に内陣の壁・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・ 矢部は父のあまりの素朴さにユウモアでも感じたような態度で、にこやかな顔を見せながら、「そりゃ……しかしそれじゃ全く開墾費の金利にも廻りませんからなあ」 と言ったが、父は一気にせきこんで、「しかし現在、そうした売買になってる・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ただ一言いっておきたいのは僕たちは第四階級というと素朴的に一つの同質な集団だと極める傾向があるが、これはあまりに素朴過ぎると思う。ブルジョア階級と擬称せられる集団の中にも、よく検察してみるとブルジョア風のプロレタリアもいれば、プロレタリア風・・・ 有島武郎 「片信」
・・・――少い経験にしろ、数の場合にしろ、旅籠でも料理屋でも、給仕についたものから、こんな素朴な、実直な、しかも要するに猪突な質問を受けた事はかつてない。 ところで決して不味くはないから、「ああ、おいしいよ。」 と言ってまた箸を付けた・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・第一言い伝えの話が非常に詩的だし、期節はすがすがしい若葉の時だし、拵えようと云い、見た風と云い、素朴の人の心其のままじゃないか。淡泊な味に湯だった笹の香を嗅ぐ心持は何とも云えない愉快だ」「そりゃ東京者の云うことだろう。田舎に生活してる者・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・スコットランドの素朴な風景や、居酒屋に集る人々等は、バーンズによって、永久に芸術に生かされている。 北方派の画家等にして、南欧の明るい風光に、一たび浴さんとしないものはない。彼等は、仏蘭西に行き、伊太利に行くを常とした。しかし、そこはま・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・この人達の、質実、素朴な生活の有様を、今から思い起すと、何となしになつかしい気がするばかりでなく、そこにのみ本当の生活があったような気さえされるのである。 もし、人々がすべてかくのごとく、自から耕し、自から織り、それによって生活すべく信・・・ 小川未明 「単純化は唯一の武器だ」
・・・ 私達の希望する児童文学は、子供の世界のごとく、純情、素朴にして、その内部に、自から発達の機能を有する、純一の文学でなければならない。この意味において、既成の感情、常識を基礎とする、しかも廃頽的な大人の文学と対立するものでなければな・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
出典:青空文庫