・・・……小鰯の色の綺麗さ。紫式部といったかたの好きだったというももっともで……お紫と云うがほんとうに紫……などというでしゅ、その娘が、その声で。……淡い膏も、白粉も、娘の匂いそのままで、膚ざわりのただ粗い、岩に脱いだ白足袋の裡に潜って、熟と覗い・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・お米坊、机にそうやった処は、赤絵の紫式部だね。」「知らない、おっかさんにいいつけて叱らせてあげるから。」「失礼。」 と、茶碗が、また、赤絵だったので、思わず失言を詫びつつ、準藤原女史に介添してお掛け申す……羽織を取入れたが、窓あ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・は、即ち「時代」により「処」によりて「人の胸中の人物」が生れたり活きたり死んだりする所以で、人の胸中の人物もあたかも実の人であるかの如くであるのであります。馬琴時代の「人の胸中の人物」は、紫式部時代の「人の胸中の人物」とは全然別なのでありま・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・』これを写しながら、給仕君におとぎばなし、紫式部、清少納言、日本霊異記とせがまれ、話しているうち、彼氏恐怖のあまり、歯をがつ、がつ、がつ、三度、音たてて鳴らしてふるえました。太宰さん。もう、ねましょう。にやにや薄笑いしていい加減の合槌をうつ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・学校のお友達は、急に私によそよそしくなって、それまで一ばん仲の良かった安藤さんさえ、私を一葉さんだの、紫式部さまだのと意地のわるい、あざけるような口調で呼んで、ついと私から逃げて行き、それまであんなにきらっていた奈良さんや今井さんのグルウプ・・・ 太宰治 「千代女」
・・・古代の閨秀作家、紫式部の心境がわかるような気がした。春はあけぼの、という文章をちらと思い浮べていい気持であったが、それは清少納言の文章であった事に気附いて少し興覚めた。あわてて机の本立から引き出した本は、「ギリシャ神話」である。すなわち異教・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ 源氏物語の時代にしろ、女らしさは紫式部が描き出しているとおりなかなか多難なものであった。仏教や儒教が、女らしさにますます忍苦の面を強要している。孟母三遷というような女の積極的な判断が行動へあらわれたような例よりも、女は三界に家なきもの・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・王朝時代の記録は、文学の優れた作家の生涯についてさえ、その人々が高貴な御方でなければ詳述していない。紫式部の伝記を満足するように書けない原因は、この当時の記録のないことである。林房雄氏等は日本のロマンチストとして「抽象的な情熱」に従って王朝・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・なかでも紫式部の名は群をぬいていて、「源氏物語」という名を知らないものはないけれども、その紫式部という婦人は何という本名だったのだろう。紫式部というよび名は宮廷のよび名である。大阪辺りの封建的な商家などで、女中さんの名前をお竹どんとかおうめ・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・は立派な小説であり、紫式部がなかなか立派な小説家であったことは、作品を読めば分ります。けれども、その後の日本でこの作品がどんな風に扱われて来たかと考えて見ると、大変興味があります。昔から国文学者は「源氏物語」の立派さをいろいろな角度から研究・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
出典:青空文庫