・・・きにつけあしきにつけ主動的であり、積極的である男心に添うて、娘としては親のために、嫁いでは良人のために、老いては子のために自分の悲喜を殺し、あきらめてゆかねばならない女心の悶えというものを、近松は色彩濃やかなさまざまのシチュエーションの中に・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・このごろ初恋につれて新しい興味をもたれているデイアナ・ダーヴィン、この女優はその歌にほんとうの濃やかな味わいがないとおりに、修業や世俗の悧巧さでおおいきれない素質としての平凡さ、詰らなさがあるように感じられる。 日本の映画女優で、頭のい・・・ 宮本百合子 「映画女優の知性」
・・・ いつも、さくさくとした細やかな実が、八分目以上も盛られたのばかりを見馴れた自分の眼に、六寸程の直径を持った瀬戸物の白い底が、異様に冷たく空虚に見えた。微かなショックに似たものをさえ、私は胸の辺に覚えた。 今朝目を牽いた床の間の粟の・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・ それから、クマラスワミーとは友情が次第に濃やかになり、十月頃彼が帰るまで、我々は、ヨネ・野口をおいては親しい仲間として暮した。種々な恋愛問題なども、率直に打明けられるほどであった。然し、アタール氏とはこのまま会う機会もなく、殆ど忘れ切・・・ 宮本百合子 「思い出すこと」
・・・京都人の日常生活の細やかさ、手奇麗さなど、風景でも大ざっぱで野趣のある関東から来た人は、誰でも賞め、価値を認める。全く或る点よい。だが、其なら京都の人は本当に情趣豊かな風流人かというと、さて、と思う。面白いことに、生粋の京都生れ、京都暮しの・・・ 宮本百合子 「京都人の生活」
・・・ホーと朗らかに引っぱり、ホケキョと短く濃やかに畳みこむ。其一声の鶯は、東雲のクラシカルな藍と茜の色どりと相俟って、計らずも心のおどるような日本の暁の風趣を私の胸に送りこんだ。同時に、私は初めてほんとの鶯を聴いたような新鮮な歓びを感じた。――・・・ 宮本百合子 「木蔭の椽」
・・・父と私との心持の相通じていた程度の濃やかさは御存知ですが、父は自分の死によってまで、かえって私たちに生活力をおこさせ、人生の正道を愛す心を深くさせる、そういう生活を営みました。よく世間では急な永訣のとき、虫が知らせるとか、或る徴候があるとか・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・頂の雪は白皚々、それ故晴れた空は一きわ碧く濃やかに眺められ、爽やかに冷たい正月の風は悉くそこから流れて来るように思えた。 道傍の枯芝堤に、赤や桃色の毛糸頸巻をした娘が三人、眩しそうに並んで日向ぼっこをしていた。 女役者の一座がか・・・ 宮本百合子 「山峡新春」
・・・ クニッペルに書かれたいろいろ日常茶飯のこと、チェホフが愛情の濃やかさから書いたそれらの日常茶飯の描写に、我々は彼の短篇の種々なモーティヴの潜在を感じる。 南方の九月のヤルタ、天気がよいのに雨が降ってくる。長くしなしなして、ちょっと・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・若し、真個に家につながる各々の心、記憶愛と云うものを感じ、尊むとすれば、現代の、多くの人々が新たな家に対すより、或は、もう少し濃やかな、深いものが必要なのではないでしょうか。家の、大体の建築を自分でする等と云う事は、不可能と知れていますが、・・・ 宮本百合子 「書斎を中心にした家」
出典:青空文庫