・・・ 今はよく晴れて、沼を囲んだ、樹の袖、樹の裾が、大なる紺青の姿見を抱いて、化粧するようにも見え、立囲った幾千の白い上じょうろうが、瑠璃の皎殿を繞り、碧橋を渡って、風に舞うようにも視められた。 この時、煩悩も、菩提もない。ちょうど汀の・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ とたちまち霧は消えてしまって、空は紺青に澄みわたって、その中を雲雀がかけていました。遠い遠い所に木のしげった島が見えます。白砂の上を人々が手を取り合って行きかいしております。祭壇から火の立ち登る柱廊下の上にそびえた黄金の円屋根に夕ぐれ・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・山頂近く、紺青と紫とに染められた岩の割目を綴るわずかの紅葉はもう真紅に色づいているが、少し下がった水準ではまだようやく色づき初めたほどであり、ずっと下の方はただ深浅さまざまの緑に染め分けられ、ほんのところどころに何かの黄葉を点綴しているだけ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・黒潮に洗われるこの浦の波の色は濃く紺青を染め出して、夕日にかがやく白帆と共に、強い生々とした眺めである。これは美しいが、夜の欸乃は侘しい。訳もなしに身に沁む。此処に来た当座は耳に馴れぬ風の夜の波音に目が醒めて、遠く切れ/\に消え入る唄の声を・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・この雲の上には実に東京ではめったに見られない紺青の秋の空が澄み切って、じりじり暑い残暑の日光が無風の庭の葉鶏頭に輝いているのであった。そうして電車の音も止まり近所の大工の音も止み、世間がしんとして実に静寂な感じがしたのであった。 夕方藤・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・黒んぼの子守がまっかな上着に紺青に白縞のはいった袴を着て二人の子供を遊ばせている。黒い素足のままで。 ホンコンから乗った若いハイカラのシナ人の細君が、巻煙草をふかしていた。夫もふかしていた。 三 シンガポール・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・とペンネンネンネンネン・ネネムはけだかい紺青色にかがやいてしずかに云いました。 その時はじめて地面がぐらぐらぐら、波のようにゆれ「ガーン、ドロドロドロドロドロ、ノンノンノンノン。」と耳もやぶれるばかりの音がやって来ました。それか・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・ 三分の一ほどの上は白いフワフワ雲にかくれて現われた部分は銀と紺青との二色に大別されて居る。 けれ共ジーッと見て居るとその中に限りない色のひそんで居るのを見る。 一目見た時に銀に見える色も雲のあつい所は燻し銀の様に又は銀の箔の様・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・日はまだ米山の背後に隠れていて、紺青のような海の上には薄い靄がかかっている。 一群れの客を舟に載せて纜を解いている船頭がある。船頭は山岡大夫で、客はゆうべ大夫の家に泊った主従四人の旅人である。 応化橋の下で山岡大夫に出逢った母親と子・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・ 私はある冬の日、紺青鮮やかな海のほとりに立った。帆を張った二三十艘の小舟が群れをなして沖から帰って来る。そして鳩が地へ舞いおりるように、徐々に、一艘ずつ帆をおろして半町ほどの沖合いに屯した。岸との間には大きい白い磯波が巻き返している。・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫