・・・四五日経つともうすっかり痩せてしまった。咳もあまりしない。しかしこれは咳が癒ったのではなくて、咳をするための腹の筋肉がすっかり疲れ切ってしまったからで、彼らが咳をするのを肯じなくなってしまったかららしい。それにもう一つは心臓がひどく弱ってし・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・「げに月日経つことの早さよ、源叔父。ゆり殿が赤児抱きて磯辺に立てるを視しは、われには昨日のようなる心地す」老婦は嘆息つきて、「幸助殿今無事ならば何歳ぞ」と問う。「紀州よりは二ツ三ツ上なるべし」さりげなく答えぬ。「紀州の歳ほど・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・それから話して一時間も経つと又喫驚、今度は腹の中で。「いったいこの男はどうしたのだろう、五年見ない間に全然気象まで変って了った」 驚き給うな源因がある。第一、日記という者書いたことのない自分がこうやって、こまめに筆を走らして、どうでもよ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 月日の経つうちに悲しみもだんだん薄らぎ、しまいには時々思い出すぐらいのことで、叔母の親切にほだされ、いつしか叔母を母のように思うて日を送るようになったのでございます。 十八の歳から、叔母の家を五丁ばかり離れた小学校に通って、同僚の・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・それからかれこれ二月ばかり経つと、今度は生垣を三尺ばかり開放さしてくれろ、そうすれば一々御門へ迂廻らんでも済むからと頼みに来た。これには大庭家でも大分苦情があった、殊にお徳は盗棒の入口を造えるようなものだと主張した。が、しかし主人真蔵の平常・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・ 蜂谷の医院へ来てから三週間ばかり経つうちに、三吉は小山の家の方へ帰りたいと言出した。おげんは一日でも多く小さな甥を自分の手許に引留めて、「おばあさんの側が好い」と言って貰いたかったが、退屈した子供をどうすることも出来なかった。三吉は独・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・子安が東京から来て一月ばかり経つ時分には藤の花などが高い崖から垂下って咲いていた谷間が、早や木の葉の茂り合った蔭の道だ。暗いほど深い。 岡の上へ出ると、なまぬるい微かな風が黄色くなりかけた麦畠を渡って来る。麦の穂と穂の擦れる音が聞える。・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・吾々はよく、あの砂糖屋の奥にあった、茶室風の部屋に集って、其処で一緒に茶を呑みながら、雑誌を編輯したり、それから文学を談じたりして時の経つのを忘れる位であった。戸川秋骨君、馬場孤蝶君は、私が明治学院時代の友達という関係から、自然と文学界の仲・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・結婚して六十日経つか経たないに、最早彼は疲れて了った。駄目、駄目、もうすこし男性の心情が理解されそうなものだとか、もうすこし他の目に付かないような服装が出来そうなものだとか、もうすこしどうかいう毅然とした女に成れそうなものだとか、過る同棲の・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・一年、二年経つうちに、愚鈍の私にも、少しずつ事の真相が、わかって来た。人の噂に依れば、私は完全に狂人だったのである。しかも、生れたときからの狂人だったのである。それを知って、私は爾来、唖になった。人と逢いたくなくなった。何も言いたくなくなっ・・・ 太宰治 「鴎」
出典:青空文庫