・・・ 和歌は万葉以来、新古今以来、一時代を経るごとに一段の堕落をなしたるもの、真淵出でわずかにこれを挽回したり。真淵歿せしは蕪村五十四歳の時、ほぼその時を同じゅうしたれば、和歌にして取るべくは蕪村はこれを取るに躊躇せざりしならん。されど蕪村・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・それについてつくづくと考えて見るにわれわれの俳句の標準は年月を経るに従っていよいよ一致する点もあるが、またいよいよ遠ざかって行く点もある。むしろその一致して行く処は今日までにほぼ一致してしもうて、今日以後はだんだんに遠ざかって行く方の傾向が・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・開いた輝のない眼、青白い頬、力ない唇、苦しさに細い育ちきれない素なおな胸が荒く波立って、或る偉大なものに身も心もなげ出した様に絶望的な妹の顔を一目見た時――おおあの時の恐ろしさ、悲しさ、いかほど年月を経るとも、私に生のあるかぎりは必ずあの顔・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・りでは、良人と妻とは七つ八つ年が違うのが普通だから、その年ごろの妻たちは大体四十前位の良人をもっているわけで、男の人たちの社会へ向う心持、事業に向う心持、異性に向う心持は、やはり四十歳ごろ一つの変転を経るのが一般らしい。三十三が女の大厄と昔・・・ 宮本百合子 「小鈴」
・・・ 二十五年前の第一欧州戦争を、日本の一般社会は間接に小局限でしか経験しなかったから、今日の文学が経る波瀾は、極めて日本的な諸条件のうちで、しかも世界史的に高度で、経験が重大であるというばかりでなく、謂わばその重大さが初めてであるというこ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・ 少年の感情の世界にひそかな駭きをもって女性というものが現れた刹那から、人生の伴侶としての女性を選択するまでには成育の機変転を経るわけである。感情の内容は徐々に高められて豊富になって行くのだから、いきなり恋愛と結婚とをつなぎ止めてしまう・・・ 宮本百合子 「成長意慾としての恋愛」
・・・仕事に対する父の愛が減ったのではなく、仕事について父の分担が年を経るままに変って来たのでした。そのことを、私は一度も父には直接申しませんでしたが、自分の心の中では或る避けがたい悲しみとして鋭く感じていました。文学と建築という仕事の質の相異と・・・ 宮本百合子 「父の手帳」
・・・ 私たちが生活の間に経る波は激しく、潮はまことに急速で、昨今は、この一ヵ月で生活感情も随分変化して来ている有様である。その波濤を、ああしこうし工夫して凌ぎゆくわけだが、そのようにして生活して行くというだけでは、殆ど未だ人間経験というとこ・・・ 宮本百合子 「地の塩文学の塩」
・・・と云った肇の口調を千世子ははっきりとかなりの時間が経るまで覚えて居た。 多くの人は犯し難い沈黙を持つ事は喜びもし口にもする、けれ共尊い悲しみと云う物を思う人達の数は少ないものだろう。 心の正しい、直な人は喜びのみを多く感じる・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・尤も考えてみれば刑務所への手紙は幾重もの検閲を経るのであるから、はっきりしたことの書けるわけはなかったのに、思慮が足りなくて陳弁された。 原稿は、いずれ又のこととして事務上の片は簡単についた。しかし、わたしの心の内には沢山の疑問がのこさ・・・ 宮本百合子 「「どう考えるか」に就て」
出典:青空文庫