・・・ 学問に志して業を卒りたらば、その身そのまま即身実業の人たるべしとは、余が毎に諸氏に勧告するところにして、毎度の説法、聴くもわずらわしなど思う人もあるべけれども、余が身に経歴したる時勢の変遷を想回えして、近く第二世の事を案ずれば・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
私の文学上の経歴――なんていっても、別に光彩のあることもないから、話すんなら、寧そ私の昔からの思想の変遷とでもいうことにしよう。いわば、半生の懺悔談だね……いや、この方が罪滅しになって結句いいかも知れん。 そこでと、第・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・彼が見しこと聞きしこと時に触れ物に触れて、残さず余さずこれを歌にしたるは、杜甫が自己の経歴を詳に詩に作りたると相似たり。古人が杜詩を詩史と称えし例に傚わば曙覧の歌を歌史ともいうべきか。余が歌集によりてその人の事蹟と性行とを知り得たるもその歌・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・写生にのみ依らんか、絵画はついに微妙の趣味を現わす能わざらん、実験にのみ依らんか、尋常一様の経歴ある作者の文学は到底陳套を脱する能わざるべし。文学は伝記にあらず、記実にあらず、文学者の頭脳は四畳半の古机にもたれながらその理想は天地八荒のうち・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・しかし、この個人個人の奮闘史は、今日の彼女たちにとっては、誇りある経歴となっている。そのことが、とりも直さず、現在のこれらの人々が功成りたる地位にある人々であることを語っているのである。 私たち婦人にとって、婦人の棄権のすくなかったとい・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
・・・この点も、婦人作家として、特徴的な経歴です。日本の社会的事情は、あなたのような程度の教養的環境と理解との中で一人の若い婦人作家を育てあげ得る、極めて例外的な可能性しか有していないのですから。過去においては勿論のこと、ここ十数年を意味するよう・・・ 宮本百合子 「含蓄ある歳月」
・・・書を書いた事、長太郎が目をさましたので同行を許し、奉行所の町名を聞いてから、案内をさせた事、奉行所に来て門番と応対し、次いで詰衆の与力に願書の取次を頼んだ事、与力らに強要せられて帰った事、およそ前日来経歴した事を問われるままに、はっきり答え・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・歴史においては、初め手を下すことを予期せぬ境であったのに、経歴と遭遇とが人のために伝記を作らしむるに至った。そしてその体裁をして荒涼なるジェネアロジックの方向を取らしめたのは、あるいはかのゾラにルゴン・マカアルの血統を追尋させた自然科学の余・・・ 森鴎外 「なかじきり」
・・・このような談笑の話と、先日高田が来たときの話とを綜合してみた彼の経歴は、二十一歳の青年にしては複雑であった。中学は首席で柔道は初段、数学の検定を四年のときにとった彼は、すぐまた一高の理科に入学した。二年のとき数学上の意見の違いで教師と争い退・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ところでそこに語られているのは、熊野に今祀られている神々が、もとインドにおいてどういう経歴を経て来たかということなのである。したがってそこには、インドのマガダ国王の宮廷に起こった出来事が物語られている。しかもそこに描かれている世界は、衣裳、・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫