・・・髪の毛ではない無数の蛇の舌が断間なく震動して五寸の円の輪を揺り廻るので、銀地に絹糸の様に細い炎が、見えたり隠れたり、隠れたり見えたり、渦を巻いたり、波を立てたりする。全部が一度に動いて顔の周囲を廻転するかと思うと、局部が纔かに動きやんで、す・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・間もなく長さ十米ばかりの細い細い絹糸でこさえたようなはしごが出来あがりました。「いいかい。こいつをね。あの栗の木に掛けるんだよ。ああ云う工合にね。」紳士はさっきの二人の男を指さしました。二人は相かわらず見えない網や糸をまっさおな空に投げ・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・土庇の深く出た部屋で、その庭には槇と紫陽花と赤い絹糸の総をかけたような芽をふく楓が一株あった。蕗の薹も出た。その小部屋は、親たちのいるところと、夜は真暗な妙にくねった廊下でへだてられていた。父や母は壮年時代の旺盛な生活ぶりで、どちらかという・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・そして、あんな貧乏だのに御礼に金はどうしても貰わず、ただ、よい布と美しい絹糸を下さいというばかりなのです。お婆さんの家へ行くと、いつも鼠やげじげじが、まるで人間のように遊んでいるのも、皆には気味が悪かったのでしょう。 一本針の婆さんの処・・・ 宮本百合子 「ようか月の晩」
・・・この蝦蟇出の急須に絹糸の切屑のように細かくよじれた、暗緑色の宇治茶を入れて、それに冷ました湯を注いで、暫く待っていて、茶碗に滴らす。茶碗の底には五立方サンチメエトル位の濃い帯緑黄色の汁が落ちている。花房はそれを舐めさせられるのである。 ・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫