・・・ 亡霊の妄想を続ける根気も尽き、野山への散歩も廃めて、彼は喘ぐような一日一日を送って行った。ともすると自然の懐ろは偉大だとか、自然が美しいとかいって、それが自分とどうしたとかいうでもない、埒もない感想に耽りたがる自分の性癖が、今さらに厭・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・その間吉田は自然その話よりも話をする女の顔の方に深い注意を向けないではいられなかったのであるが、その女にはそういう吉田の顔が非常に難解に映るのかさまざまに吉田の気を測ってはしかも非常に執拗にその話を続けるのであった。そして吉田はその話が次の・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・夜半の頃おい神鳴り雨過ぎて枕に通う風も涼しきに、家居続ける東京ならねばこそと、半は夢心地に旅のおかしさを味う。 七日、朝いと夙く起き出でて、自ら戸を繰り外の方を見るに、天いと美わしく横雲のたなびける間に、なお昨夜の名残の電光す。涼しき中・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ そこまで考え続けると、おせんのことばかりでなく、大塚さんは自分自身が前よりはハッキリと見えて来た。そういう悲しい幕の方へ彼女を追い遣ったのは、誰か。よしんばおせんは、彼女が自分で弁解したように、罪の無いものにもせよ――冷やかに放擲して・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・末弟は、更にがくがくの論を続ける。「空論をお話して一向とりとめがないけれど、それは恐縮でありますが、丁度このごろ解析概論をやっているので、ちょっと覚えているのですが、一つの例として級数についてお話したい。二重もしくは、二重以上の無限級数の定・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・嫂も、あの時、針仕事をしていたのだそうであるが、花火の音を聞いたら、針仕事を続けることが出来なくなって、困ってしまったそうである。兄は、私たちの述懐を傍で聞いていて、「おれは、泣かなかった。」と強がったのである。「そうでしょうか。」・・・ 太宰治 「一燈」
・・・生活というものはつらいものだとすぐあとを続ける。と、この世も何もないような厭な気になって、街道の塵埃が黄いろく眼の前に舞う。校正の穴埋めの厭なこと、雑誌の編集の無意味なることがありありと頭に浮かんでくる。ほとんど留め度がない。そればかりなら・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ 八十歳の老人でできるだけ長時間ダンスを続ける、という競技の優勝者ブーキンス君は六時間と十一分というレコードを取った。もっと若い仲間でのレコード七十九時間と三十分というのはウィーンのウィリー・ガガヴチューク君の手に帰した。三昼夜と七時間・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・それが急には実行できないとすれば、せめて、そういう理想に少しでも近づくようにという希望だけでも多数の国民が根気よくもち続けるよりほかに道はないであろう。 現在のジャーナリズムに不満をいだく人はかなりに多いようであるが結局みんなあきらめる・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・ウィリアムは又読み続ける。「われ巨人を切る事三度、三度目にわが太刀は鍔元より三つに折れて巨人の戴く甲の鉢金の、内側に歪むを見たり。巨人の椎を下すや四たび、四たび目に巨人の足は、血を含む泥を蹴て、木枯の天狗の杉を倒すが如く、薊の花のゆらぐ中に・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫