・・・第六門に叢書、類書等を総括している。漢書之部も、第一門が四書、五経や孝経、儒家、諸子、西教等を包括している。 今日の図書館員の目から見れば、此那大ざっぱな、まとまりのない目録は稚拙の極で、小規模の箇人蒐集をまとめる役にも立たないように思・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・そのほかいくつかの小説をこの数日の間に読んだのであるが、結局私の心にはその一作一作についての感想を語る興味が生ぜず、むしろ総括的な一つの疑問がのこされた。何故なら、以上の諸作品が、それぞれの作家にとって自信あるものでないことは誰の読後感にお・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・そして、そのような可能は、作品の水平動と作家の上下動との個々に目をうばわれず、それを総括して現代文学史の一頁によみとろうとする努力にもかかっていると思う。〔一九四〇年十二月〕 宮本百合子 「昭和十五年度の文学様相」
・・・けれども、学生は、と総括して、まるで平常は本をよみさえしないように云われた時、何か若い胸に湧き立つ思いを感じる青年たちの数は、下らない者よりは多いのが現実であるし、つまりはそれが学生の純真な精神の発露であると思える。〔一九四一年四月〕・・・ 宮本百合子 「「健やかさ」とは」
・・・その意味で、民主国では、この社会的な課題は、男女をこめて、明日のより条理そなわった社会建設に志す人々にとって、提出されている総括的な課題の一部分として扱われているのである。なぜなら、健康人の社会生活が安定であって、はじめて、病人の生活も保証・・・ 宮本百合子 「世界の寡婦」
・・・婦人作家たちの共通性である芸術至上の傾向によるものであるとされ、それは、男の作家がこの二三年の世相の推移につれ、その社会性の積極さの故に陥った混乱に対置して、結局は婦人作家の社会性の欠如の故と否定的に総括されていた。けれども、果してそれだけ・・・ 宮本百合子 「地の塩文学の塩」
・・・という言葉で総括されている一つの道徳的標準と照らし合わされ、引きくらべられて、各自の価値をつけられる。 その価値は、即ち彼女の思っている「立派な人」の一分子として取り入れらるべきものであるか拒絶されるべきものであるかということなのである・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・のの独自性で作品の現実関係の中に立ち現れて来て、そこに錯綜した交渉を生じ、発展させてゆくような性質ではなく、情景も人物も、そのものとして色濃いながらいかにもそれはゴーリキイ風なと特徴づけられる種類の、総括的雰囲気にくるまれたものである。ゴー・・・ 宮本百合子 「長篇作家としてのマクシム・ゴーリキイ」
この事は、私によくわかりません。普通云うような総括的な標準によれば、最も女性として成熟の頂点に達した二十二、三歳以後、三十四、五歳の間とでも云うのでしょうが、私として、そう定めてかかれるものとも思えません。種々な性格、境遇・・・ 宮本百合子 「四十代の主婦に美しい人は少い」
・・・ 人間性という言葉は文学の上で、とかくあらましな総括でつかわれるならわしだが、その人間性の具体の姿は、それぞれの植物がもっているような特質とその特質における共通性をももっているわけで、人間性もその発露は、自然主義が本能に帰結させたより遙・・・ 宮本百合子 「リアルな方法とは」
出典:青空文庫