・・・しかし葭江と呼ばれた総領娘である母の娘盛りの頃は、その父が官吏として相当な地位にいたために、おやつには焼きいもをたべながら、華族女学校へは向島から俥で通わせられるという風な生活であった。嫁いで来た中條も貧乏な米沢の士族で、ここは大姑、舅姑、・・・ 宮本百合子 「母」
・・・ いかにも南フランスの農民出らしい頑丈な、陽気な、そして幾らかホラ吹きな父ベルナールと、生粋のパリッ子で実際的な活動家で情がふかいと同時に小言も多い若い母との間に、三人の子があったが、その総領として「よく太った、下膨れの顔の、冬になると・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
母かたの祖母も父かたの祖母も長命な人たちであった。いずれも九十歳近くまで存生であったから、総領の孫娘である私は二人のおばあさんから、よく様々の昔話をきいた。母方の祖父も父方の祖父も、私が三つぐらいのとき既に没して、いずれも・・・ 宮本百合子 「明治のランプ」
・・・とくに、総領の息子、あるいは家督をとる一人の娘というような場合、これらの誕生の不幸な偶然にめぐり合った人々は、今もって家のために、親を養い、その満足のために、結婚がとりきめられ、そこでは家の格式だの村々での習慣だの親類の絆だのというものが、・・・ 宮本百合子 「若き世代への恋愛論」
・・・ 若い頃の母は小さい子供らを腰のまわりにつけて沢山の洗濯物もしたし、台所でも働いたし、庭掃除もしたし、私の小さい頃の日々の思い出の中には、いつも総領娘である五ツ六ツの私をおだてては、自分の助手にして働いていた生々とした美しい母の面影があ・・・ 宮本百合子 「わが母をおもう」
出典:青空文庫