・・・の字軒の主人は半之丞と店の前の縁台に話していました。そこへふと通りかかったのは「青ペン」の女の一人です。その女は二人の顔を見るなり、今しがた「ふ」の字軒の屋根の上を火の玉が飛んで行ったと言いました。すると半之丞は大真面目に「あれは今おらが口・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・ さりとも、人は、と更めて、清水の茶屋を、松の葉越に差窺うと、赤ちゃけた、ばさらな銀杏返をぐたりと横に、框から縁台へ落掛るように浴衣の肩を見せて、障子の陰に女が転がる。 納戸へ通口らしい、浅間な柱に、肌襦袢ばかりを着た、胡麻塩頭の亭・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 犬張子が横に寝て、起上り小法師のころりと坐った、縁台に、はりもの板を斜めにして、添乳の衣紋も繕わず、姉さんかぶりを軽くして、襷がけの二の腕あたり、日ざしに惜気なけれども、都育ちの白やかに、紅絹の切をぴたぴたと、指を反らした手の捌き、波・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・くらった、大角豆のようなのを嬉しそうに開けて、一粒々々、根附だ、玉だ、緒〆だと、むかしから伝われば、道楽でためた秘蔵の小まものを並べて楽しむ処へ――それ、しも手から、しゃっぽで、袴で、代書代言伊作氏が縁台の端へ顕われるのを見ると、そりゃ、そ・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・この権ちゃんが顕われると、外土間に出張った縁台に腰を掛けるのに――市が立つと土足で糶上るのだからと、お町が手巾でよく払いて、縁台に腰を掛けるのだから、じかに七輪の方がいい、そちこち、お八つ時分、薬鑵の湯も沸いていようと、遥な台所口からその権・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・んだ岡を背負ってるから、屋敷構から人の気心も純粋の百姓村とは少し違ってる、涼しそうな背戸山では頻りに蜩が鳴いてる、おれは又あの蜩の鳴くのが好きさ、どこの家でも前の往来を綺麗に掃いて、掃木目の新しい庭へ縁台を出し、隣同志話しながら煙草など吹か・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・あるときは、縁台の上に置き忘れられたり、また冷たい石の上や、窓さきに置かれたままでいたことがありました。そんなときは、さすがにさびしかったのです。「はやく、お家へはいらないと、知らぬ人につれられていってしまうがな。」と、星の光をながめて・・・ 小川未明 「古いはさみ」
・・・家の隣りは駄菓子屋だが、夏になると縁台を出して氷水や蜜豆を売ったので、町内の若い男たちの溜り場であった。安子が学校から帰って、長い袂の年頃の娘のような着物に着替え、襟首まで白粉をつけて踊りの稽古に通う時には、もう隣りの氷店には五六人の若い男・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・そこには私の意匠した縁台が、縁側と同じ高さに、三尺ばかりも庭のほうへ造り足してあって、蘭、山査子などの植木鉢を片すみのほうに置けるだけのゆとりはある。石垣に近い縁側の突き当たりは、壁によせて末子の小さい風琴も置いてあるところで、その上には時・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・清水寺のすぐちかくに赤い毛氈を敷いた縁台を二つならべて置いてある小さな甘酒屋で知り合った。 私が講義のあいまあいまに大学の裏門から公園へぶらぶら歩いて出ていって、その甘酒屋にちょいちょい立ち寄ったわけは、その店に十七歳の、菊という小柄で・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
出典:青空文庫